KIKORI

私達はRainbowをしっている

永遠に残るもの

少し前まで、人が亡くなると、私はひどく落ち込んだ。ずっと病気だった、という人でも、私にとっては、「生きている」から「死んだ」になり、突然だった、と毎回感じるからだ。

ここ4日ぐらいの間に、二人が亡くなり、人生や命の儚ささえも感じてしまう。

1年ほど前に、同じフロアに住む4人家族の旦那さんが、いつもは明るく駆け足で階段を下るのだが、少し無表情だったので、ジョギングから戻って階段を駆け上がっていた私は「元気?」と声をかけた。

「実は妻に脳腫瘍がみつかり、これから治療していかなきゃいけないのだけど、でも大丈夫そうだから、パラッゾ(ビル)のみんなには言わないでくれ。」と言われた。

夫婦で会計事務所を経営している、イタリア人にしては時間を守る、真面目な夫婦で、子供は二人、10年前に会ったとき、男の子は4歳、女の子はまだ2歳だった。外国人の私が娘と二人きりで住んでいるということで、はじめは一人で変えられなかった電球や、トイレの故障など、この旦那さんが色々助けてくれた。

医療で病気を治すことは、不可能ではない時代だから、仕事を休まなくてはいけないし、元気に復帰するのも大変だろうな、ぐらいに思っていて、旦那さんも会えば「まぁまぁ元気」という感じで、むしろ、息子が、よくお手伝いする姿をみかけ、微笑ましく、全てが回復へと向かっていると思っていた。

そのまた半年後の夏休み、久しぶりに会った奥さんは車いすになっていて、やせ細っていたが、奥さんの姉が「大丈夫」とウィンクしたから、辛い治療がやっと始まったのか、と思っていたが、またその1か月後、その姉とエレベーターで会ったら、「Non va(良くない)」と言い、その一言は、イタリアに10年住んで聞いたことがない、凍るような響きだった。

そして先週ジョギングで階段を駆け上がる私。階段を下る旦那さん。「どう?」と聞いたら頭を横に振って、「昨日亡くなった」と言い、私はとっさに彼を力強く抱き締めた。

次の日14歳の息子は、お母さんが使っていた車いすやベッドを外に運ぶのに、大人の男たちに交じって、手伝っていて、私に気づいた彼は「良い一日を」といつものように言ったが、私はどんな言葉をかけて良いのか分からず、黙ってしまう。又、12歳の娘は「Mamma!」と何度も何度もお母さんを呼びながら泣き叫んでいて、パラッゾ中にその悲しみの声は響いていて、心を締め付けられた。

一番印象に残ったのは、あの甘えん坊でワガママだった14歳の息子が、ものすごくしっかりしていたのと、その横顔がとてつもなく凛々しく、母の愛を彼に預けたのではないか、と感じるほど、神々しく美しかったこと。

そして昨日娘から連絡があり、大学でお友達になった男の子が昨日亡くなった、と。大学のHomecomingで、学生達は寮の色々なところでパーティーを開き、お酒も飲むから当然酔っ払う子も出てくる。夜中12時過ぎ「音がうるさい」とクレームが入り、大学の警備員がその寮の部屋をノックすると、その亡くなった男の子はトイレに隠れたという。

本来は自分の部屋以外の出入りは禁止されていて、見つかった場合、寮を追い出されるというしくみになっており、8階のトイレからその子は飛び降りたらしい。その夜は怪我だけで状態は落ち着いていたらしいが、朝に息をひきとった。

娘の大学は、少し勉強したぐらいで進学できるレベルの大学ではない。またアメリカの良い大学というのは、勉強の成績だけではなく、スポーツ、芸術、チャリティー、生徒会など、全ての分野で優れていることを求められ、試験で良い結果を出せば認められるという、シンプルなシステムでもない。

ハイスクール4年間の全ての成績や行い、人間性などが問われる。勉強できるだけではなく、頭も心も良くないといけないのだ。この男の子は親とも仲が良く、大学始まって4週間ぐらいですでに人気者になっていた。

彼はたしかに酔っ払っていた。そこに警備員がきて、見つかって追い出されちゃ困る。逃げる目的で、窓から飛び降りたのだろう、と彼の友人達は言っている。それが8階だったという不運なのだろうか。

初めての中間試験も終わり、私だって娘にリラックスして楽しむことをすすめた。彼の親はやりきれない気持ちだろう。考えただけで胸が苦しくなる。やっとの思いで入れた大学。大学生活始まってたった4週間。私もそうだが、彼らの新生活も落ち着いてきて、親としてもホッとしているタイミングだったはずだ。

混乱し、悲しみで目が腫れている娘と、話を聞いて心を痛めている息子に話しをした。「人生に感謝して、自分たちの夢に向かって頑張っていこう。楽しむことも、リラックスすることも絶対大切だから。でもね、安全、健康であることぐらいの責任は自分たちでとろう。」と。

今でも人が亡くなると私は、落ち込まないわけではない。でも、人間にとって不可能なことはたった一つだけで、死んだ人を生き返らせることだけは絶対にできない。早すぎる奥さんの死。若すぎる学生の死。心が美しく、眩しいぐらいに輝いた彼らを失うのは、この世にとって残念という言葉ではすまない。

でもだから、自分を大切に、自分に正直に、余計なノイズはきりすてて、愛と健康に感謝をし、今日のベストを丁寧にやりきって、喜怒哀楽激しくても、いいと思う。そうやって人生を生ききりたい。

Rest in peace, beautiful soul and spirit. 

そして彼らの家族の悲しみが少しでも早く癒されるよう、できる限りの愛と光を送りたい。

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牡羊座の満月

 

一番カリスマティックな友人

現在ポルトガルをベースにしているママ友が、双子の娘たちをロンドンの大学に送った後、ローマに会いに来てくれた。彼女の夫はある国の次期大統領になると言われている人で、夫のいる国に帰ると、ボディーガードが何人もつく、有名な政治家の妻である。

彼女と会うと何が楽しいかって、とにかく「思いっきり」オシャレができることだ。ファッショニスタであり、私のスタイルを理解し、褒めてくれる人であり、また彼女の大胆なチャレンジにはいつも刺激を受ける。

昨日も彼女はプラダの白の、ダッドスニーカーどころではない、ごっつごつのミリタリーブーツを、愛らしいシフォンの黒ミニドレスに、黒の革ジャン、またその上にバーバリーのレインコートを羽織って、待ち合わせのレストランに、Lady Diorの白いバッグを持って現れた。

私は毎年プラダでスニーカーを購入するのだけど、今年はどうしてもシンプルなのが流行りではないらしく、気に入るものを見つけられなかった。なのに、こうやって、彼女がミリタリーをかっこよく、でもフェミニンに着こなすのを見ると、「明日またプラダ見てみようかな」という気にさせてくれる。

彼女が主催するパーティーによばれると、メイクも服も「そこまでやっちゃう?!」ぐらいやっても、会場に行けば、丁度よかったりするから、とにかく楽しい。

そんな彼女も子育ては終了し、「娘の部屋には入れない」と涙を流した。今私のまわりは、自分も含めて、みんなそういう人生の節目を迎え、ちょっと呆然としている人が多い。子供に振り回されることすら、”楽しい”と思ってやってきた子育てなのだから、旦那がいようが、いなかろうが、同じようにガクっとくる。

彼女の息子も私の息子と同じでバルセロナ在住で、もう一人の息子はブラジルのサッカーチームにレンタルされた。「で?何で一人でポルトガルに残っているの?」と聞いたら、真昼間からボトルワインをガンガンオーダーする彼女は、「夫は政治家。女が多い。国に帰れば、私はその女たちに弱みを見せないどころか、”相手にもしていないわよ”と言わんばかりに、堂々と笑顔を振りまかなければならないの。大変なのよ。女達を殴ってやりたくなるわ。でもジェラシーなんて見せたら相手の思うつぼだから。でもね、疲れちゃうの、やっぱり。心が。だからね、離れて元気を取り戻すために、ポルトガルの家は残したの。」と。

「ブラジルに行った息子はね、夫と2年間ほど住んでいたから、見ているのよ、色々。それである日「ママはとにかく人生楽しんで。」と言われて。その意味が分かって。」と。家族愛も夫婦愛も互いにすごくあるのだけど、人生ってシンプルじゃないのだなぁ、と思う。人間のサガというか。

彼女は言った。「”家にいるのが好き”っていう人がいるけど、あれ、やっぱり鬱だと思う。」と。色々な考え方はあるけど、私は彼女よりな思考の持ち主かも。だから私は言った、「常にコンフォートゾーンから出て、自分に刺激を与え、フレッシュ感とか輝きをメンテナンスしなきゃいけないと思う。だからレストランも、買い物も、少しファッションとか気合を入れていかなきゃいけない場所を選び、目が肥えている店員やカメリエーレ達の厳しいジャッジメントで自分を高めていくのも必要だよね。」と。

「その通り!」と彼女はハイファイブをもとめた。もちろん落ち込む時間も、自分をみつめる時間も必要だが、とにかくアラフィフ世代は、もともと落ち込みやすいところにいるのだから、自分のモチベーションを上げていく方法とそのメンテナンスというのを、しとかないと、こうやって久しぶりに会ったときに、「どうしたの?大丈夫?」と自分では何もないのに、心配されることになる。

5か月ぶりに会った彼女に座ってすぐ「彼氏できたんでしょ!」と言われたから、私はその「キラキラ」を自分が思っている以上に、保てているのだな、と、ホッとした。「まだ。」と言ってから、今度はアモーレの話題で1時間はすぎる。まるで「ピラティスのクラス行ってきなさい」というぐらいのノリで「セックスしてきなさい」とこの人に何度言われたか・・。っていうか、ラテンの男女に言われないことがない。

で、最後はいつも同じで、「でも、歳を重ねたら、名誉とか物とかお金よりも、家族とか友情が本当に一番大事になってきて、本当に人生がシンプルになっていくよね。」で終わる。むしろ、ここが分かっていない人に、私も彼女も、時間を費やさない。

食事の後、来週のレッドカーペットのイベントのためにドレスを用意しなきゃいけない、と、お買い物に付き合い、「主役」になることが絶対条件の彼女が選ぶドレスは、「それ?!」と思うほどToo muchに見えるのだけど、彼女が着ると、しっくりきてしまう。そこに、これでもか!ってほど派手はジャケットを店員が勧め、これまた似合ってしまう彼女に、私はすごく興奮した。地味なデザインを派手に着こなし、派手なデザインをしっくりみせる、というのが、私のファッション哲学だから。

「私も色々ある。だからお互いこれからも頑張りましょう。また12月頃にローマに来れるようにするから、ミアモール。バモス!」と彼女は言い、夫の待つ国へと旅立った。

なんて楽しくて、刺激的で、Soulfulな日々だったのだろう。彼女と会った後はいつもこの気持ちになる。

12月には息子も娘もイタリアへ帰ってくる。私にとって一番厳しいジャッジは彼らだ。容赦なく感じたことを、さらっと(多分これまた、”無意識に”)言ってくる。最後に息子に言われたのは「マミーここ何年も歳をとっていないね。」娘には「マミーと家のエネルギーって、クリーンで綺麗。」と。もちろん、嬉しいから、「変わらないね」と言われるよう努力をしている。

年を重ねるとね、変っていないということは、変わっているってことだから。

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刺激と愛と知性のシャワーをありがとう

 

20年ぶりの再会は、感動の答え合わせ

20年ぶりの友人に会いにマルセイユに行ってきた。飛行場で会うなり、この再会が夢でないことを確認するかのように、私達はものすごく強く抱き締めあった。

20年も経ったのに、互いに「変わってない」と思う、あれは何なのだろう。しわもシミも増えたはず。たるみも明らかなはず。20年間の間に髪型や色だって変えてきたのに、たしかに、再会した今、自分の髪型も20年前といっしょだった。

フランス人の彼女は、ファミリービジネスを経営する女社長であり、夫も娘夫婦も、みな彼女の会社で働いている。病気ではない限り、仕事をし続けた彼女が、私が来るからと、初めて休みを取り、家族や社員たちは唖然としていたらしい。

20年前会った時は私達も若かったから、自分たちの夢をいっぱい語った。今回49歳の彼女と46の私は、子供の頃や親の話、夫婦、子育ての話、手に入れた幸せの話、つまり自分たちががむしゃらに生きて、今にたどり着いた話を、数日間朝の4時までコースで語りつくした。

幼時、暴力、怒鳴りあいばかりだった親も離婚し、ベッドも買えないほど貧乏だった彼女は、幸せな家庭をもつことが夢だったそう。19歳の時に、倒れかけているお父さんの修理工場をある日、突然任せられたが、それは税務署のチェックが入り、自分が捕まるのから逃れるために責任を全てなすりつけられただけの話だった。

工場をなんとか立てなおすことができれば、破壊寸前の家族を守ることができるのでは、と、とにかく一人で朝晩働いたらしい。そのうち恋人だった今の旦那さんも手伝ってくれることになり、結婚し、娘を二人儲けた。

早い話、親や兄は働きもせず、利益が出ればそれをとってしまい、5年前に縁を切り、元の家族を守ることはできなかったらしいが、自分の今の家族だけは、自分が死ぬ気で守る、と、それで30年間一度も休みをとったことがなかったみたいなのだ。

今では、広すぎる庭がある、全て自分でデザインした大きな美しい家に住み、娘夫婦たちにも家を建て、それぞれにメルセデスベンツを買い与え、会社も拡大し、新しいビルを建てた。彼女夫婦のパッションは昔からそうだったけど、車で、とにかく悲鳴をあげたくなるほどスピードをだす。地下のガラージには白いランボルギーニが駐車してあり、旦那さんが大切にピカピカに磨いている。

こう書くと、「成金」に聞こえるかもしれないが、家と車以外は、ほとんどお金をかけないことに、正直驚きを隠せなかった。「幼時真冬お湯も出ない家だったの。だから家族が安心できる家は絶対で。服やバック、宝石に興味ないの。でも車だけは私達のパッション。ちゃんとメンテナンスされた安全な車を家族に運転してもらいたい。」と、成金からほど遠い。

ディナーはお城の中にあるレストランに連れて行ってくれた。旦那はワインに詳しく、でもそれは高いとか有名ワインと言う意味ではなく、ソムリエも顔負けな知識を持っている。20年前私にGigondasを勧めたのも彼。今回は白のTalbotを。「好きなんだ。興味があるんだ。」と。

私は人生「好き」であることを大切にしてきた。だから私の子育ても、好きなことをみつけ、好きなことをやって生きてほしいと、それだけを言ってきたのだけど、彼女は「あなたと私は10代で会った頃から、変わらない。「好き」が軸になって生きている。」と言った。好きであれば、どんな壁にぶつかっても、頑張れるんだよね。好きだから、何とかしようとする。バカにされることも、恥だと思わない。「無理だよ」と何度言われても、自分のこととは思わない。そうやって私も好きを全て手に入れてきた。

彼女は20年たって、成功して、高飛車になっててもおかしくないのに、愛の量が考えられないぐらい増えていた。話せば話すほど、海の底より深い愛を感じる。その彼女が最後「あなたは間違えていない。」と言ってくれた時は、これまでの疑問が解けたかのように、私は彼女の胸元で、子供のようにワンワン泣いた。

「私Burnoutした」と言えた。ずっと認めたくなかったことなのだと思う。私は彼女の愛には絶対に甘えない。だって本当に助けてくれることを知っているから。

Backgroundも、国もライフスタイルも全てが違う彼女と私。なのに「私達は人生の価値観が同じ。」と彼女が言った。そして笑いながら「私達みたいな強い女は大変ね。でもね、守りたいものは絶対守れるから。」とウィンクした。

強がっていたわけではないのだけど、張りつめていた何かはあったみたいで、それが膿が出るように一気に流れ、今やっと「じゃ、傷口がくっつくのを待とうか」と本気で休むことを決心した。

今朝起きたの10時半。

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久々の夜のフライト。私の心もキラキラで溢れている。感謝しかない。

 

ノスタルジアは、はじまりの合図

子育て強制終了から、4週間経ち、自分で仕掛けた変化も含めて、ゆっくりと前進しながら、気力も少しずつチャージされてきている。

先週は、一番避けていたイタリア人の友人達に会った。彼女達は私がイタリア引っ越してからの10年間、どう暮らしてきたか、何を想っていたか、また娘のこともよく知っているから、色々触れてほしくなくて、会うのを避けてきたが、いい加減「パンドラの箱」を持っているのが、重荷になってきたのか、どうせ避けては通れないのだから、と会う決心をした。

彼女達はダイレクトに質問する。「娘が巣立って、一人になって、どう?」といきなりくる。正直、毎日掃除・洗濯・料理など、量が減っただけでやることは変らないから、一日結構あっという間に過ぎていくようになった。息子や娘たちとは毎日話すか、メッセージのやりとりをし、写真なども送ってきてくれるから、なんとなく生活が見える気がし、さほど距離を感じなくなってきた。

一人の友人はママ友なのだけど、「娘がいなくなってから、時間を気にせず生活できるから、楽になった。今日のランチだって、”そろそろ帰ってくる”と、焦る必要もないしね。」と言い、なんかスッキリした様子。

でも、3杯目のワインを頼んだあたりで、「飛行場で、娘はハグさえもしてくれなかったの。で、サッサと行こうとして、そうしたら止まって振り返って、”泣きたくないから、このまま行くから”、って行っちゃってね。」と。「それから一週間は毎日まるで娘がまだいるかのように、部屋に掃除機かけたりして。」と言った彼女の目は真っ赤になっていた。

覚悟していたとはいえ、私もお酒が入っているからね。飛行場で見送った時のことを、生々しいほどに思い出してしまった。「わかるよ。私もね、運転手に”電車で帰る”って、言って帰ってもらった。電車だったら人がいっぱいいるから、泣けないから。家着いたら、部屋は見たくなくて、リビングのソファーで数時間はただ座ったままだったと思う。」と。

一度でも瞼を閉じてしまうと、たまっている涙がこぼれてしまうから、目を大きく開けたままでいたら、彼女が「あなたはもう私の友達じゃないから。」と言うから、びっくりしたら、「あなたは私の家族。妹よ。」と。

娘同士が、小・中・高、とずっと一緒で、色々ありながらも、10年があっという間に過ぎ、互いに子育てが終わり、会ったこの日、すがすがしい意味で、変化する友情の形に、心のよりどころを見つけられた気がした。

その夜、娘から電話がきて、「寒くなってきたから、お願い!明日服送ってくれる?それとね、来週からMidtermの試験がもう始まるの!勉強が大変!」と、元気は彼女が発する波動で伝わる。その後息子から電話がきて、「今日、勝ったよ!」っとこれまでは、出場することもなかなかできなかったトーナメントで一回戦を突破した報告を受けた。

遠くなる記憶。塗り替えられていく記録。先が楽しみになってきた。五感を研ぎ澄ませ、懐かしい思い出に触れたり、浮き上がる思考を丁寧にくみ取ったりしながら、新しい扉を、ゆっくり開けている自分がいる。

時って優しい。寄り添ってくれる。人間ってすごいね。絶対、また立ち上がるのだから。人生って面白い。自分で選べるのだから。

明日からマルセイユへ行く。20年ぶりにフランス人の友人に会いに。

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秋の夕日には強さがある

 

 

オーラは、嘘をつけない

「私なんて全然モテないですよ」と言う人ほど、自分に相応しくない恋人を求めていることが多い。「お金持ちの男性を紹介してください。」と言われ、その通りにしたら、「あの人は見た目が・・」と。

「私仕事の能力がないです」と言う人ほど、「結婚しても家事をやるのは嫌だから、それを理解してくれる人がいい」と言う。

シャワーも浴びないほど、引きこもりになった昔の知り合いは、人生楽しんでいる人達をみて、「馬鹿」と言っていた。

たまにこういう、理解不能な人達と出会うことがあるが、彼らは決して、ブスなわけでも、仕事ができないわけでもなく、むしろよく見ると美人だったり、評価されないだけで、この部署はこの人で回っているな、と思う人だったり、潔癖なぐらい清潔だったりする。

私だってこれから婚活するにあたって、「タイプは?」なんて聞かれたら、「竹野内豊」と答えよう、と思っていたけど、真面目に聞かれたとき、自分はタイプがないことに気づいた。

というのも、これだけ色々な人達と出会ってきて、皆どんな魅力的な人も「何か」あるからだ。むしろ、その「何か」が他人には魅力に映っても、身内には不幸の種だったりする。

映画に出てくるような都合良いプリンスチャーミングは存在しない。女ったらしが良いとは口が裂けても言わないけど、でもカトリックでずっと生きた男性が、大人になって恋をしてしまうと、想いが強烈な分、簡単に家族を捨ててしまうケースもある。そうなると、浮気はするけど、家族サービスもその分たっぷりする男の方が可愛く感じる。

自営業で成功している人はよく「時間は自由に使える」と言うけど、それは最初だけで、そのうち絶対デートより仕事を選ぶ。そりゃそうだ。仕事が好きだから、人より稼いだり、有名だったりするのだから。

まめな男性は最初はロマンチックだけど、そのうちこっちが息苦しくなってくる。隙だらけの男は一緒にいて楽だけど、ポカミスが多く、こっちが気が休まらなくなる。

ま、何が言いたいかって、女性も同じってこと。だから本当に自分に合う恋人や夫と出会いたいなら、まして、理想があるのであれば、その理想にふさわしい自分になる努力をコツコツとすることだと思う。

40年ぐらい生きていれば誰だって、自分が得意なことはあるはずだ。それは資格があるとかではなく、服をたたむのが上手、人の痛みが分かる、探し物を早くみつけられる、とか別に人に自慢するほどのものではなかったりもするけど、あることは確かなのだから、それをいっぱい見つけること。

自分が不得意なことも同じようにみつけ、克服できるものは少しずつでも努力すればいいし、変えるの無理と思ったら、そういう自分をしっかり受け止めればいい。大切なのは、自分を知ることだ。

そのプロセスをふみながら、いつ運命の人と出会っても良いように、女性は特に、髪・肌・体などのセルフケア・プロのケアを普段からやっておくこと。彼氏ができてから、美しいランジェリ-を買いに行くのではなく、今日出会ってもいいように、今から身につける。そういうちょっとしたケアが「自信」や「キラキラ」につながるから。

頭の良い男性は、話していて面白い女性を好む。笑わせるということではなく、色々なことを感じ、でも偏見をできるだけなくした、自分の意見を語れる女性をリスペクトする。だから、毎日何かに気づけて何かを学べれば、話題豊富の話し上手にも聞き上手にもなれる。

自分を知れば知るほど、他人をジャッジすることはできなくなるし、あと「大目に見る」ことが自然になってくる気がする。相手に求めるばかりをやめるようになる。そうやって「愛」の量を増やしていけば、素敵な人を引き寄せることができると思う。

気を付けたいのは、「やってあげているのに」「ここまでしているのに」とか思っている時点で、それは「愛」ではないということ。ボランティアも、していれば良いというわけではない。自分より大変な人を助けることができた時、自分が力をもらっていることに気づけ、そう思わせてくれた人に心から感謝できれば、それが、宝になっていく気がする。

私もまだまだ自分磨き中。

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文字霊浴びれる、大好きなコーナー



 

 

 

母への想いは、言葉にならない

毎日想う事はいっぱいあって、それをこのブログに書きたいと思い、パソコンの前に座るのだけれども、いざ書こうと思うと、言葉が出てこなくなる。

家事など一切やってこなかった父は、母がアルツハイマーと診断され、おにぎりさえもにぎれなくなってから、料理を少しずつするようになった。

そんな父からメッセージが入り、「今日はワカメたっぷりのチキンスープを作ったよ。美味しかった。」と。私も写真付きで「ママに教えてもらった、小イワシのから揚げ。サラダのドレッシングも自分で作る。」と送り返したら、「作り方を教えて。」と。

母はどんなに忙しくても丁寧に料理の下ごしらえをした人で、盛り付けなんかにもこだわっていて、「おしゃれなものは作れない」とよく言っていたけど、温かいものは、温かく、冷たいものは冷たく、と色々なタイミングも絶妙で、家庭料理の天才だったと思う。

と、こうやって書いているうちに、涙が目にたまってきて、何が書きたかったのか、分からなくなってくる。

私達家族にとって、母のやってきてくれたことを話すのは、どうしようもない寂しさと向き合うことになるので、避けているのだけど、今日は少し父と、母が元気だった頃作ってくれた料理の話をして、なるべくしんみりならないよう、面白おかしく書くのだけど、これ以上は・・と思って、「ま、私達はあんなに美味しい料理を毎日作ってもらえたのだから、幸せだね!」と締めに入ったら、父も最後に「そうだね。ママは素晴らしい!じゃ。おやすみ。」とチャットを終わらせた。

義父が亡くなった時はものすごく悲しかった。だけど、できないことが増えていく母を見ていく感覚を表現する単語は未だに見つからない。

母は私達3姉妹が巣立った後、「大学行く」と言い、凄まじい勢いと集中力で勉強をし、本当に日本の超名門大学を卒業した。だけど、私は、子供達が巣立った今、少しまだ気力がなく、どっちに行くか、決めることも、考えることさえもシャットアウトしていて、これほど「母と話しがしたい」と思ったことはない。

一度、泣きながら母にFacetimeビデオをしたことがある。姉が携帯を持ちながら。何を言って泣いていたのか覚えていない。だけど、姉が「ママ、スクリーン上のあなたの髪の毛を指で撫でているよ。」とおしえてくれ、なんかすごく嬉しくて、甘えたのか、ワンワン子供のように泣いたのを覚えている。

母は今でも私にそうやって「頑張れ」と分かりやすい愛で、応援してくれているのだから、だから私は絶対に、母の想いを裏切らないと決めている。

父も病気がみつかり、薬を飲みながら治療中だけど、早く治し、一日でも早く母とまた一緒にいれるよう、大好きなお酒を止め、日本の家で自炊している。「10月20日、再検査なんだ」と父が不安そうに言ったけど、なんとなく大丈夫な気がした。

だって、その日は父と母の結婚記念日だから。

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すぐ会いに行くよ

 

 

 

愛のムチは、打った方が痛い

テニスプレーヤーの息子は、1か月ほど前に、試合で全身痙攣し、救急車で運ばれ、後日アスリートのメディカルチェックを受け、「フェラーリのような肉体だ!」とドクターに絶賛されたが、その後「ガソリン不足のね」とも言われた。

鉄欠乏性貧血と診断され、処方された鉄のピルを飲みながら、グラム数まで栄養士に言われた通りの食事を作って食べているが、私が見ても明らかに量が少なく、お腹が空いて練習中もミスれば、テンパ-を失っているらしい。

コーチも私も、「たのむから、もっと食べて。」と言うと、「とりあえずあと1週間は栄養士の言うことをきく。彼はエキスパートなのだから。」と。

鉄不足が改善されるまで試合は出ない、ということだったのだけど、本来は息子のランキングでは出場できないトーナメントのワイルドカードをもらえることになった。それも4日後。

「試合に出るなら、負けても、”万全な状態じゃなかった”とかは口が裂けても言わないこと」と言ったら、息子は「そういうことは言ったことがない」とすぐ返した。「そう”思う”のもナシだから。」と言ったら、「それも絶対ない。」と答え、彼が真っ先に電話したのは栄養士。食事の量を増やしてもらったらしい。

今朝娘から電話がきた。イタリアでは友達、家族、一人の時間と黄金バランスがとれていたから、アメリカ渡ってから約3週間が経ち、常にルームメイトや誰かがまわりにいて、自分のスペースがないことに疲れを感じているようだった。

どの学生も同じなのだろうけれど、実家が近い子も多く、週末は親元に帰ったりしている学生も少なくないらしい。「まだキャンプにいる感じ。ここに住んでいるって気がしないの。なんかルーティンがまだできていなくて3週間も経ったのに。これまでマミーがいてくれたから全部簡単だった。」と、ま、早い話ホームシックにかかっているのだろう。

11月にアメリカの入国制限がなくなるかもしれなく、「11月のThanksgivingのお休み、来れる?」と聞かれたが、「あなたはよくやっている。一人で全てを整え、勉強も頑張り、友達もたくさん作って。3週間経って疲れが少し出てきたんだね。睡眠大切だから。」と、休みに関しては返事をはぐらかした。

ここは、二人がもっと強くなれる成長のチャンス。体調が整っていない時の自分を集中力で引き上げていき、自分の持っている以上の力を発揮できる時もある。戦うと決めたら自分の心に1ミリの隙も与えないこと。

また、娘に関しては、不都合や不足を経験し、疲れたり心細くなることも大事だから。自分で自分を励ましながら、責任を果たしたら、見えなかった景色が見えてくる。それを積み重ねていくことで、どんなことにも耐えられる強い心が育つ。

きっと彼らは、私との電話の後、気持ちを切り替え、引き締めて、前進する。

「頑張れ、頑張れ」と念を送りながら、ものすごく会いたくなってしまい、私自身は、3歩ほど後戻りをしてしまったようだ。

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徹底している健康管理

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ハンモックの上で寝っ転がる娘の足が愛おしい

 

幸福の少し先に恋人は待っている

「恋人いるでしょ」「もう一緒に住んでたりして」「再婚は?」と、会う友人達みんなに必ず聞かれ、「誰もいないよ」と言うとびっくりされる。

ま、もともと既婚者の時から「愛人いるでしょ」とよく言われていたから、男がいそうな雰囲気なのかもしれない。(どの部分かは未だに分からず)

再婚はしたいと思う。する気だ。ただ、私はまだ離婚して4か月しか経っていない。ここ2年間、離婚裁判、コロナ、息子のテニス、娘の受験、卒業式、イタリア・スペインのビザ更新、アメリカのビザ申請、子育て終了、と人生の大イベントが一気にきたから、正直まだ疲れている。

私が決めているのは、自分が弱っている時に男性とデートをしないこと。そんな時に優しくされたら、コロッといってしまい、後で後悔するかもしれないから。

今日もまた「恋人できた?」と聞かれ、「いないよ」と答えると、「だめだめ。一人でいちゃ。」と言われ、離婚して4か月、娘巣立って2週間、もうタイムリミット?!とモヤモヤしている時に、息子が電話をくれた。

敏感に全てを感じ取ってくれるから、すぐに”じっくり話を聞くモード”に入ってくれたのが分かった。「焦らないでいいよ。恋愛したくなるタイミングは自分でわかるでしょ。マミーが少しずつステップを踏んでいるのわかるよ。大事なことは間違えない人だから。」と言ってくれた。

「マミーみたいに、どんな大変な時でも、どんな面倒なことも、言い訳せずにやることは絶対にやる人、会ったことない。世界で一番尊敬している。」と最後言われた時には、涙がぶわっと出た。

私も初めてのことで、自信があるわけではない。だけど、息子にそう言われたら、これからも尊敬される人間でありたい、と向上心をかきたてられた。

そうしたら娘からメッセージがはいり、「洋服が足りない。」と。じゃ、明日家の服を詰めて、少しサプライズで新しい洋服も入れて送ってあげよう、と急に明日のお買い物が楽しみになり、すごい勢いで気力がチャージされていった。

結局私はまだ息子と娘に「生きがい」をもらっている。彼らの想いは私を良い人間にしてくれる。もし、私に恋人がいる気配がずっとあるなら、それは彼らが溢れる愛を注いでくれているからに違いない。

大事なことは間違えないでいられるのは、私の魂全てで彼らを愛しているから。

これから出会う私の恋人へ。もう少し待っていてね。

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恋人探しよりも「楽しい」探し