KIKORI

私達はRainbowをしっている

クリスマスは、愛と感謝をばらまく

9月からアメリカの大学に行った娘が、明日イタリアに帰ってくる。興奮しすぎているからか、今朝起きたら、時差とか日にちとか全部忘れて、「もうゲートにいるのか」とメッセージを送ったら、「マミー!びっくりさせないで!私のフライトは明日の朝だから!」と怒られた。普段私はポカミスをしないから、まわりはぎょっとするらしい。

娘が家に着いたら、抱き着いて泣くと思う。すごく会いたかった。色々自分の中で、この3か月間忙しくしてきたけど、やっぱり、すごくすごく会いたかった。息子は、最後の最後まで試合や練習があるから、23日にバルセロナから帰ってくる。二人が家にいて、私が一日中料理して、彼らはそれをペロッとたいらげ、ゲームしたり、一緒に映画を見たり、3人でフェイスマスクをしたりもする。息子はいつも嫌がるけど、付き合ってくれる。

離れているとね、毎日毎日、何か引っかかっているかのように、彼らの心配をしている。彼らの一日の終わりに電話がきて、声をきいて、「今日も良い日だったよ」と聞いて、やっとホッとする。それが、家にいると、自分のそばにいると、心配も変な想像も何もいらない。「ベッド気持ちいい!」「マミーの食事美味しい!」「家がきれいだから気持ちいい!」「洗濯物がすごく良い香り!」と私が当たり前にやることを、喜んでくれるから、涙が出そうになるほどうれしくなる。

私に気遣って二人でお皿洗いしたり、洗濯ものを干してくれたりしてお手伝いもしてくれる。私が心から幸せだと思える休みだ。

娘が帰ってくる前に、友人達に年末年始の挨拶をした。大好きな人。大切な人。助けてくれた人。彼ら一人一人を想いながら、家のそばのEnotecaでクリスマスハンパ―をオーダーした。この人はこのワインが好きだろう、とか。この人は甘いものが苦手だから、チョコレートはやめよう、とか、あれこれ入れて、飾りやかごも選んでいく。イタリアで1等賞をとった簡単に手に入らないTiriのPanettoneは、少し離れたお気に入りのEnotecaで毎年オーダーするが、今年は2個しか残っておらず、一個はうち。もう一個は、親友にプレゼントした。

これまでのPanettoneは少しパサついていて、何でこんなものをイタリア人は食べるのだろう、と思っていたが、Tiriに出会ってからは、しっとり感モチモチ感にほっぺが落ちそうになる。甘すぎないところも、センスだな、と感心する。

年末年始の挨拶にはまだ早いんじゃない?と、みんな口そろえて言うのだけど、「子供たちが帰ってきたら、私は忙しいから!」と、自分勝手に挨拶する。でもね、心こもった贈り物は、相手もちゃんと受け取ってくれる。「私の心のそばにいてくれて、ありがとう。」「私が元気ない時、すぐ察してくれてありがとう。」「私が嬉しい時、一緒に喜んでくれてありがとう。」「私のことをいつも見守っていてくれてありがとう。」「子供達の成長や成功を、一緒に飛び跳ねて喜んでお祝いしてくれてありがとう。」「泣きたいとき、車の中で泣かせてくれてありがとう。」「冗談いっぱい言って笑わせてくれてありがとう。」「あの時、しっかりしろ!と叱ってくれてありがとう。」

一人一人が私にしてくれたことがある。その全てが今日の私を幸せにしてくれている。イタリア語でTi voglio beneとは「あなたを大切に想っている。」「愛している。」という意味で、恋人にも言うけど、大切な家族とか親友につかうフレーズだ。Ti voglio beneと言われ、Anch'ioと返す。普段あまり使わない分、心にずしッとくる。

もう毛皮を着る寒さになり、キスすると顔は冷たく、ハグをするとコートの厚みを感じる。大好きな大好きな季節。何でクリスマスってこんなにも感謝と愛の気持ちで溢れるのだろう。ギブすることが、嬉しい季節で、それを喜んでくれる大事な人の笑顔が、心をホカホカにしてくれる。

今年大変だったけど、滅茶苦茶悩みながらも、自分達が幸せな選択ができた。失ったものもあるけれども、手に入れた幸福の方が大きすぎて、まっすぐ前を歩いて行ける。私もすごく頑張った。息子と娘はもっと頑張った。彼らとこの素晴らしい2021年を祝え、最高の2022年を一緒に迎えられるこの「時」に心震える。

もう、冷蔵庫食べ物いっぱい買った。下ごしらえするものはした。朝一でキャロットケーキも焼こう。私、本当に会いたかったのだと思う。息子と娘が帰ってくるのを待っていたのだと思う。

Merry Christmas & Happy New Year! このマジカルなホリデーが、世界中の人の心と体を癒し、たくさんの美しい光でチャージされることを、心から祈っています。

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2021年ありがとう。滅茶苦茶頑張れた年だった。