KIKORI

私達はRainbowをしっている

怒りの浄化は、中途半端に終わらせない

私、今週傷ついていました。

目だけではなく、顔も浮腫むまで泣き、子供たちに立ち上がる勇気をもらい、親友に励まされ、自問自答し続け、思い込みではないクリアーな答えをだし、スッキリしていても良いはずなのに、たっぷり寝ても、朝起きた瞬間、「どうして?」と、考えてしまい、料理をしていても、「何で?」と、ある人が私に発した言葉が、どうしても頭から離れなかった。

その人が赤の他人ならまだしも、血のつながった家族だったから、なかなか振り払うことができなかったのだろうか。「専業主婦の20年なんて、そんなの遊びと同じだ」と言われた。

その人はお金は稼いできた人だけど、財力で人を判断したり、動かしたりするから、面倒くさがられていて、その人の指示に従わないと、暴言も吐いてくるから、家族や周りにいる家族同様の人達に避けられている。

そんな人に何言われようと、傷つく必要はない、と皆、口そろえて言ってくれるけど、私はその人が、これまでの過ちを認めて、心を入れ替え、気づかなかった人の優しさに、やっと気づいたのかと思っていたから、残念でしょうがなかった。

息子のことも、テニスプレーヤーは無理だ、やめさせろ、と言い、息子が全身全霊をかけて取り組んでいる事、私や娘が魂こめて応援していることを、言葉の暴力で全否定した。

もちろん、これぐらいのことで、私や息子や娘は自分たちの夢を諦めるわけではない。子供たちにこの話をしてもビクともしなかった。むしろ、言いたいことを、その人に言い、正論で追いつめ、「あなたの言う事をきいて幸せになった人は、まわりに一人もいない!」、と言い返した私に、娘は泣きながら「マミーらしい!」とハイファイブを、ビデオ電話の向こうでしてくれた。

収まらない怒りに苦しんでいた私に、息子は「全てがうまくいっている。結果が出ている。このままやっていこう。マミーがそのモヤモヤをすぐに消せないのは、自然のことだよ。でも、それを、なんとかしようと努力している人だから。大丈夫。」と少しの動揺も見せなかった。

こんなに冷静な息子でも、試合で負けると、ものすごく悔しがり、話しかけられる雰囲気ではなくなる。でもね、あれだけ悔しいということは、それだけ熱いものが中にあるってことでしょ。今の時代、冷めてる人が多いのだから、やけどするぐらい熱い情熱を持っている人を、特に若者たちを、本気で大切にするべきだと思う。

離婚をすると、再婚するまでは、「失敗した人」と、上から目線で話してくる人もいたり、何も努力していないのに、文句ばかり言ってる人が、このタイミングで、気安く話しかけてきて「同士」と勘違いする人もいる。

再婚しようと思えば、正直明日にでもできるお金持ちの相手はいる。物質的なものは全て簡単に手に入るし、そこが目当てな女性たちならこの機会を逃さないだろう。だけど私は純粋に人を愛したい。それだけだ。

波動の低い人と付き合う気はない。どんなに大変な状況の中にいる人でも、夢を持って、努力している人の目力は強く、輝かしいオーラを発している。そういう人達は、他人の夢をバカにしたりしないし、互いを盛り上げていける。

「In bocca al lupo!」とはイタリア語で、Good Luckという意味だ。イタリア人の友人達は、昨夜もそうやって言って、「あなたならできる」と、息が苦しくなるくらい、力強く抱き締めてくれた。

いつか日本に住んでいた頃、大分年齢離れた、日本大企業の取締役の友人が、飲みながら教えてくれた。「自分の願いっていうのはね、人に願ってもらえて叶えられるものなんだよ。」と。「だから、人の幸せをいつも願いなさい。」と。20代で自己中だったその時の私には、分からなかったけど、30代後半で、その意味の深さを知った。

誰かに侮辱されて、悔しいから、見返してやるための努力を、する気はサラサラない。自分の夢を叶えたいから、子供たちの夢が叶う日がくることを知っているから、毎日1ミリでも近づけるよう、必要なことを積み重ねたり、探したりするのだ。私達にとって、毎日が宝探し。

怒りは毒。グルグルと、色々な箇所に回ってしまう前に、できるだけ早く吐き出したほうがいい。そうしたら、ネガティブな人と関わらなくなるのはもちろん、許す力も働いてくる。人間ってたくましい。

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届いた化粧品の裏側にプリントされている言葉が - Forgiveness-だった

 

 

 

 

大胆にみる夢ほど、叶う

答えが舞い降りてきた。

自分は何がほしくて、どこに住みたくて、どんな人生を送っていたいか、がビジョンとしてハッキリあり、多少色々ありながらも、その通り、もしくはそれ以上の現実を引き寄せてきた。

それが、娘がアメリカの大学へと巣立って、子育て終了してから、私の未来キャンバスは真っ白で、自分でもびっくりするほどイメージが何も湧いてこなかった。

「物欲もなくて。」と友人に相談すると、「あなた全部持っているからね。」と言われたが、そういうことではなく、とにかく「欲」を失った。ヨーロッパの上流社会に入りたい、と若い頃思っていたが、それも一周すれば、「みんな人間」というところに落ち着き、物もある程度一流メゾンのクラシック品を手に入れたら、トレンドは娘が取り入れるものを借りればいいや、と人任せになった。

私にとってのラグジュアリーが、健康に変わったのはたしかだ。肌や髪の艶をどれだけ保てるか、とか、体力がつく食生活とか運動とか。そのメンテナンスは、娘が巣立ってから、パーフェクトに近い状態でできているから、だんだん物足りなさを感じてきていた。

色々な疲れもドッと出て、気力もないのかもしれないが、とにかく私は人に会ったり、Youtubeみたり、Amazonで色々な分野の本をオーダーしたりしながら、自分のパッション探しを続けていた。自分のことがここまで分からないというのは、人生初めてで、何なのよ・・と涙する日も多々あったが、今日、するするするっと降りてきたのだ。

今年の5月に離婚裁判が終わり、経済的にがんじがらめにされたことが、トラウマになっていたのだろう。今あるものを手放すのがどうしても嫌だった。ローマの家も、一生ものとして買った全ての家具も、物だけではなく、心許せる友人達、一生懸命勉強したイタリア語など、とにかく「これ以上のものはいらないから、これ以下にしないでくれ」という、叫びだったのだろう。

私が住みたい国は息子のいるスペインでも、娘のいるカリフォルニアでもない、というのは分かっている。でも私が手を付けたものは、必ず成功してきているから、息子のテニスを全力でサポートしたい。プロとして軌道に乗せるラインというのがあって、そこまで行っちゃえば、私の手助けは必要なくなる。これは絶対やっておきたいことなのだけど、その先がなかったから、なんとなく動けなかったのだと思う。

その「先」がみつかった瞬間、これまで「更年期?」と思っていた、だるさはなくなり、「年?」と思っていた欲のなさもなくなった。それと同時に、あれだけ執着していたローマの家や家具、イタリア語や友人達含めたイタリアでの生活も、スルッと手放す覚悟ができた。辛くない。友人はいつまでも友人。イタリア語だって、もし一時的に忘れても、すぐ戻せるぐらい勉強してきた自信がある。家はもっと良い家を探せばいいだけだ。家具も「一生もの」は次にすればいい。イタリアでの10年間は一生、私のものだ。

嬉しくてしょうがない!その「先」がみつかったから、スペインで思いっきり役割を果たしきり、またフラフラになるぐらい全てを出し切りたい。息子と住むのは2,3年と考えている。

誰がみても正しいことをしなければいけない、私は今そんな贅沢をしている場合じゃない、自分の夢ではなく、子供たちの夢がサポートできればそれだけで良い、と離婚裁判中「普通」であることを求められ、「普通」じゃなかったこれまでの私の人生を全否定され、あまりの打撃に、私は少しつまらない人間になりかけていた。

私は欲しいものを全て手に入れてきた。それはゼロからのスタートを恐れなかったからだ。よく父が昔から言っていた「お金を貯める方法なんて考えていないで、お金を稼ぐ方法を考えろ」の心理に似ている。

「もっと」と素直に欲を出していい。自分の夢も子供たちの夢も、同時進行で叶えていっていい。全てに数字を出さなくていい。本当はあるビジョンをぼやけさせないでいい。「これがほしい」と心が決めたら、その距離は縮まるだけだから。人間は自分のDesireに関する情報を、無意識にキャッチして、集めている。だから必ずたどりつく。

普通に正しいことほど、つまらないことはない。だからやっと自分の夢がみつかり、やっと動きだせた。一気にまとまり、方向性がクリアーになり、気力と体力が戻った。それが何かと話せば、「無理だよ」「違うでしょ」という人はまたいっぱいいるだろう。だから、私は息子と娘と親友にだけ話す。彼らの目を見て話したいから、クリスマスまで待つか、私から会いにいく。

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ありがとう

 

 

自己中は、財産

今、どう動くべきか、ということを最近ものすごく意識して生活している。こうあるべきだから、こうするべきだ、と考えるのが本当に正しいのか、それとも、やっぱり心の声をきくべきなのか。

あまりスピリチュアルを語ると、「現実逃避」と言われたりもするから、現実的であることも、しっかり視野に入れておかなきゃいけないと、気を付けている。

これまで5年先のビジョンも持って生きていて、それに合わせて、国を引っ越してきたりもした。私にとって一番大切な、「幸せだ」と感じることがベースに必ずあり、誰に何と言われようとも、貫き通してきた。

ここにきて、何を悩んでいるかって、初めて方向性を見失っているのかもしれない。これまでの46年間の人生のように、「これがしたい!」「ここに住みたい!」がないのだ。

どんなに、子供の成長や教育のために良い、とやってきたことでも、ベースには、そこを選んでワクワクする自分、向上心・好奇心溢れる自分が必ずいた。

頭で考えれば、今すぐにでも、息子のいるスペインに引っ越す準備を始める事が「正しい」のだと思う。あと数年で結果を出さなければいけないプレッシャーがあるのだから、洗濯や食事、掃除などを私が引き受けるだけでも、彼はもっとテニスに集中できるし、肉体的にも楽になるはずだ。

でもそれが本当に正しいのか、となかなか行動にうつせないでいる。息子のテニスプレーヤーとしての日常は、ドロドロに泥臭く、ラグジュアリーからかけ離れた世界である。勝てなければ、稼げないわけだから、久しぶりに会うと、ウェアや下着などに穴があいていたりして、「とんでもない」と私は思って、新品を買いそろえるし、たまにはお洒落をして素敵なレストランで、と彼を日常からひっぱり出してきた。

これは「たまに」だから、エネルギーチャージになったり、非日常を味わうことで、リフレッシュし日常をまた頑張れたり、と、良いことではあったが、今の泥臭い生活があるから、息子はテニスだけではなく、精神的にも強く、賢くなってきている。

やることがありすぎて、忘れものもある。それを忘れることで、面倒なことにもなる。でも、色々なミスをすることも含めて、彼らの貴重な経験になっていると信じている。もっと大人になると、そのミスさえもクリティカルになってくるから、娘も同様、この年齢18ぐらいから28歳ぐらいまでは、間違えても全然取り返しのつくところにいると思う。

そしてその時の「しまった!」という焦りや、悔しい想い、恥ずかしい気持ちを、きっと私達人間は覚えていて、同じことは繰り返したくないな、と学んでいるんじゃないかと思う。

失敗したからと、チャレンジする勇気は失ってほしくないから、そこがまだまだ親の出番はあって、背中を押してあげたり、46歳になっても「失敗なんて怖くない」というところを、みせつけなければならない、と私は思っている。

20歳そこらの大人の階段上る子供達は、彼らの環境もあって、どんどん自我が強くなっていく。私も、彼ら並みに何かをチャレンジしていたり、彼ら以上に自制心を持ってしっかり生きていないと、説得力なんてなくなる。

また、息子はテニスプレーヤーなのだから、やはり普通よりは自我が強く、ブルドーザーのように生きなければならない。適当に要領よくやっているほうが、得することが世の中いっぱいあるけど、そんな丸く収められる人間になってしまったら、選手として成り立たないから、それも全部含めて、私は腹をくくっている。

娘だって、大学に受かったから終わり、ではない。彼女がアメリカで、スペシャライズしたい分野の医者になるには、インターンも入れて15年かかることになっている。恋人ができたり、仲良しの友達もできて、そのコンフォートゾーンから出づらくなるかもしれない。最後は彼らの人生だが、そういう細かい雰囲気も読んで、Reminderを出すのも私の仕事だ。

私がスペインに引っ越し、息子と住むことが吉とでるか,凶と出るか、分からなくて、ここ数日頭が痛くなるほど、悩んでいる。まして私はスペインに住みたいと思ったことも、スペイン語を学びたいと思ったこともないから、そこのパッションがないまま、移って、自分が幸せになるのかどうかも疑問だ。

息子のコーチには釘をさされている。「あなたが幸せになれるかを一番に考えてくれ。そうでなければ、みんなあなたの心配をしなきゃいけなくなるから、意味がなくなる。」と。厳しいように聞こえるけど、むしろ一番愛のあることを言ってくれたな、と感謝の涙がでた。

人に相談すると、相談する前から、その人がどう言うか、分かってしまう。また、誰も間違っていない。

コロナ、離婚、受験、子供の巣立ち、と色々あってまだ疲れているから、やる気が起きないのか、何かが違う、と感じるから動かないのか、そこが自分でも分からない。

今朝、もう考え過ぎて疲れて、泣きながらハワイ在住の親友に電話したら、結論、ちょっとブレイクをとろう、と。答えはそのうち、出る、と。私も日常から離れる必要があることを指摘された。ハワイに遊びに行きたいと思うし、親友も「来なさい。」と。

ただこれが、自己投資としてプラスになるのか、それともただの贅沢になってしまうのか、これまた、今の私には分からない。これまでの経験上、良いことは、プランしている時点で全てがスムーズに進む。そうでないと、チケットを予約しようとしても、サイトに問題が発生したり、パソコンがフリーズしたりと、面倒なことになっていた。

こうやって書いていて、はっきり分かることは、やっぱり私自身がエネルギッシュにイキイキと楽しんで自分の魂をNurtureできていないと、大切な人のことさえも、何も気づけない、ということ。彼らに勇気や希望も与えられなくなる。「人のため」って言うのは、本当はずるい「逃げ」かもしれない。

私の悩みはなくなったわけではないけど、その答え探しも、楽しく、自己中と言われるぐらいの勢いで、やっていこうと思う。

私も息子も娘も、やっぱりブルドーザー。

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いつまでも子供達の後ろ姿を見守っていきたい

 

直観や夢は、大切なメッセージ

もう、これ以上は無理!というところまで、やり切ると、見えない世界の力が、ポンっと、その時一番必要なものを与えてくれることが、人生に何度もあった。そして、よく思い返すと、「届くよ」というメッセージは、数字や夢の中、香りや、ちょっとした偶然の連続を通して、予告をしていてくれたことにも、後から気づく。

私は超現実主義の親に育てられたから、スピリチュアルの世界などあまり縁はなかったのだけど、小さい息子と娘と3人で、オーストラリアに引っ越した時、まず「自然のパワー」の無視できないほどの、美しさと、また何か分からない怖さを感じたのを覚えている。

平日だろうが、食後、子供達を乗っけて、車をとばして行きたくなる夜の海は、満月の日だったりして、「月光欲」という言葉が存在することも知らないまま、自然に身についた習慣になっていた。よく1泊で行っていたByron Bayは私も子供達も大好きな場所で、その場所をどう知ったかも正直覚えていない。これもあとで知ったことだが、Byron Bayは「最強パワースポット」らしく、たしかに、何かあるとここにプチ旅行をし、リチャージしていた。

チャクラ・ヒーラーとか、クリスタルとか、そういった類のお店がなんかいっぱいあるなぁ、とは思っていたけど、私はクリスタルより、ダイヤモンドやサファイアなど宝石に興味を持っていたので、スルーしていたし、占い師みたいなのにお金を払うのは無駄だと思っていたが、一度疲れて、どうしてもマッサージに行きたく、オイルマッサージを60分受けた後、体中がリラックスして、スッキリしたのはもちろんだが、頭皮の毛穴から光が出ているんじゃないかってぐらい、頭皮が「裸」に感じたのと、子宮がポカポカ温かくなり、変な体験をしたのを覚えている。

それからだんだん、引き寄せられるように入っていくお店が増え、オーガニックに関しては全く知識も興味もなかったのに、気に入って購入するボディクリームなど、少しずつオーガニックのものが増えていった。シャワーオンリーだったのに、Byron Bayで、死海の塩をもらった頃から、お風呂にも毎日入るようになり、そのような自然の流れから、なんとなく「勘」や「直観」を意識するようになっていった。

お金の無駄だと思っていたクリスタルも、子供達が大好きで、Byron Bayに行く度に一個ずつ買ってあげていたのだけど、フッと入った全く目立たないお店で、どうしても惚れてしまい、大きなローズクォーツを1000ドルも払って買ってしまった。それから色々クリスタルの石の意味や効果などを調べるようになり、気づいたら私の対人関係が、専業主婦のママ友グループから、何かしら目指している実業家達のグループへと、ガラッと変わっていた。

新月や満月を意識するようになり、何か悩んでいると目のまえに数字が表れ、答えをくれたり、「こうしてみようかな」と考えたことを、夢の中で体験させてくれ、その結果自分がどう感じるか、まで教えてくれることも多くなった。

離婚裁判中、お金が本当になく困っていて、どう頑張っても日本の法律では私や子供達が不利でどうしようもなかった時も、「何か」守られている感じはしていたから、「とにかく自分達の役割はしっかり果たそう。」と子供達と常にコミュニケーションをとり、先が見えない不安より、今の自分達の力を出し切ることにフォーカスした。それでも、動かせない現実に飲み込まれそうになっていた時、夢をみた。

アルツハイマーの母が、夢の中では病気ではなく、私にお金をくれたのだ。それでも「返せないよ」と受け取れない私の手を握り、母は泣きながら「大丈夫だから」と言ってくれた。目覚めたら、私は泣いていて、枕もびっしょりで、それでも10分は、横になったまま、涙をとめることはできなかった。

母の魂が、私を後押ししてくれているかのように、私はすぐに、自分の弁護士を手放し、子供達の経済的支援をお願いすることもやめ、ありえない同意書も離婚届けもサインし、まわりからは「子供達の将来を危険にさらす気か!」と怒る人達もいたが、違和感感じる全てを手放したら、肩の荷が下りるようなニュースが、どんどん舞い込んできた。

エンジェルナンバーで888は「お金が入ってくる」という意味だそうで、どうしよう・・と思っている時、フッと見上げるとナンバープレート888の車が2台立て続けに通ったり、444は「All is well」という意味で、自分のこの考え方は正しいのかどうか、と悩んでいると、同じように時計が4:44だったり、レシートの金額が4.44ユーロだったり、とメッセージを受け取った。

今日も、好きという感情はないけれども、独身で優しくて、紳士で、実業家として成功していて、私に好意を持ってくれている男性を、友人は「付き合っていくうちに好きになることもある」と勧めるので、私にとっては相当イレギュラーだけど、交際を始めてみるべきなのかな、と思っていたら、夢を見た。夢の中で私はその人と付き合っていて、周りの友人達も喜んでいる。だけど私は吐き気がするほど自分のことが嫌になっていて、でもその人を傷つけられないというトラップにはまっていたのだ。朝目覚めて、ホッとした。夢が先に体験させてくれて、私の魂の想いを伝えてくれた。

目に見えるものを信じるのは当然だ。まわりが揃って「良いものだ」と言えば、そうなのかも、と思うし、逆にみんなに反対されれば、だめなのかも、と思ってしまうのも自然のことかもしれない。でも、自分が、「これがいい」と感じること、条件揃っていても「違う」と感じることなど、根拠もない自信や違和感は、説明できない感覚なのだけど、それがあるのであれば、私はそっちを信じ、選び、生きている。

私はいつも前例がない人生の選択をしているな、と苦笑いがとまらないが、人が簡単に真似できるような人生を歩む気も、サラサラない。

宇宙がさりげなく送ってくれるメッセージ、大胆に導いてくれるサイン。どちらも私の本当の願いを叶えてくれている。

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どんなに揺れても、雲を通り過ぎたら、安定と光が待っている

 

 

 

 

 

暇は、ラグジュアリー

最近Youtubeをみるようになった。結構見ていて好きなのは、ハワイの山奥の家に住んでいるYoutuberの、ヨガから始まる朝のルーティンとか、ヴィーガン食とか、ナチュラルスキンケアなどを含んだ彼女達の生活をみれるチャンネルだ。

窓を開けっぱなしで寝て、朝は差し込む柔らかな光に起こされ、扇風機さえも無縁な窓から入る森林のそよ風など、私の生活とはかけ離れているところが、見ていて面白いと思う。昔、やくざ映画が大好きな人がいて、「何で?」と聞いたら、「自分の日常とは程遠い世界だから。」と言っていた意味が、なんとなく分かるような気がする。

彼女達の髪の気は伸ばしっぱなし?なのか、大体みんな腰までくるぐらい長く、それをくるくるっとお団子にまとめて、顔を洗い、スムージーなんかを用意する動画は、心が洗われる感じがするぐらい、美しいと思う。

私は都会に住んでいるから、窓を開けて寝れば確実に泥棒が入るし、夏は絶対に冷房が必要で、イタリアはオーガニックコスメが流行らないから、欲しいブランドは売ってないし、窓を開けても海や森があるわけではなく、車のクラクションがうるさいだけだけど、ま、良いところは、朝、それぞれの家庭のコーヒーの香りが、気分を優雅にしてくれる。

朝日をSPFなしで10分浴びる、とか、まず娘の部屋にしか朝日が入らないのと、その角度が微妙だし、たまに向かいのビルの人と目が合っちゃったりして、気まずくなるから、彼女達の生活をみていると、気持ち良いだろうなぁ、自然に触れられていいなぁ、と、見ているだけで、ヒーリング効果があったりする。

表面的にそれらを見ているだけなら良いのだけど、ハマったりして、次から次へと、Q&Aとか見ていくと、結構高い確率で、スピリチュアルな彼女達は昔、鬱だった、とか、自殺願望があった、とかが多く、髪や体も石鹸は使わない、とか、むしろ洗わないとか、下着は履かないとかで、「香り大好き」の私は、ちょっと引き気味になる。あのまとめたお団子の髪のうるおいは、むしろヘアオイルではなく、頭皮の油だったのか、と、その野蛮?さに、憧れなくなることが多いことに気づいた。

ただ、彼女達の方が確実に長生きしそうだし、お肌も潤っているし、どうみても健康的で美しい。人間の日常って様々なチョイスの連続と、そのくりかえしなのだろうな、と思う。

私は今週セルフメンテナンスの週にしようと、ヴィーガンに近い食事をしながら、髪、体やお肌のケアも全てオーガニックのものにしたら、生理前だというのに、体調もお肌の調子もよく、余計なものをそぎおとしたことで、五感が鋭くなるから、このタイミングで、15年使ってきた香水を変えてみようと、香水店に行き、時間と共に変わる一つ一つのノートを嗅ぎながら、それをどう脳が反応するかを感じ、調香師の生い立ちやキャリア、想いや願いまで調べ尽くして、センセーショナルな時を過ごしながら、キラキラの愛の妙薬を手に入れた。

新しい香りに包まれて、面白いぐらいに、私の佇まいも、思考回路も、美しい魔法にかかり、理想の自分に近づいていける。料理をしていても、感覚で「コクがほしいな」と思うと、今まで考えなかった煮物にちょっとGheeを入れてみたりして、嬉しい発見もあった。掃除も、まるで大切な生き物を扱うように、丁寧に磨き上げ、終わった後の爽快感は計り知れない。

セルフィ―なんかも撮ったりして、料理の写真と一緒に姉に送ると、すかさず「暇なの?」と爆笑の絵文字と共に返信がきて、「そう。今週はわざと暇な時間を作っているの」と返事打ちながら、気づいてしまった。「暇」ってすごいラグジュアリーなのだ、と。

もちろんいつも暇だと、つまらなくなるのだろうけれど、私の人生、つまらなくなるほどの暇なんてなかったから、この時間を作ることで、最初に話したYoutuber達の日常のように、こんなにも五感を満たすことができるのか、と、また一つ人生のコツのようなものをつかめた気がした。

何が言いたいかって、この風の時代に入っても、まだまだ、高価な物がある方が豊かだとか、忙しい方が偉いとか、約束がいっぱいある方が充実しているとか、勘違いしている人が多い。豊かさや充実というのは、人にみせるものではなく、自分が感じなきゃいけないことだ。また、ずっと前から思っていたのだけど、仕事でも何でも、パッションを持ってやっている人は「忙しい」を心から楽しんでいる。

自分に問いかけてみよう。他人に評価されないでいい、「豊かさ」と「充実」と「楽しい」が本当にあるか、どうか。

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今日のおかず



 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分軸のメンテナンス

Social lifeを復活させてから、色々な国のお友達と時間を過ごし、ものすごく楽しかったけど、少し疲れたので、今週はお休みして、自分メンテナンス中心の週にしようと思う。可愛い年下のお友達がずっとお誘いしてくれているのだけど、ごめんね、来週必ず。

まず基本グルーテンと乳製品、白砂糖は食べないのだけど、友人といる時は、そういう「面倒くさい」人になりたくないので何でも食べたり、飲んだりするのだけど、特にフランスでは、いつも出してくれる美味しいカフェオレを飲みすぎたのもあり、パンやチーズ・クリームが含まれる料理も多く、デザートも「さすがフランス!」というパフォーマンスと味で、とにかく、私の花粉症や蓄膿症に良くないものばかりを食べてしまったから、4日間は体がむくんだり、お腹が腫れている感じがする不快感があったりした。

毎日シャンパンを飲んで暮らしていると、思われることが多いが、私は家では一切お酒を飲まない。友人と外で食事する時だけ。楽しいお酒を飲み、幸せであることは、間違いないのだけど、やはりお酒を飲むのが2日続くと(たとえそれが、1日2杯でも)体が重く感じる。

もちろん友人と会っている合間にも、かかさずジョギングやヨガはやるのだけど、私の体は、もはや、デトックスされすぎていて、少しのことでも敏感に反応する。肉を食べた次の日は多少体が硬くなる。お酒を飲んだ次の日は、顔のしわが増える。

もちろん逆もあり、野菜やフルーツ、玄米で作ったお雑炊などを食べた次の日は、体がフレキシブルでどこまでも曲がる感じがしたり、カボチャスープを飲んだら、すぐにビタミンEが肌をモチモチにしてくれる。ワカメやのりを一杯食べると、髪の毛の艶が自分でもウキウキするほど出る。

セルフメンテナンスはまず、ネイルをナチュラルな色にした。ここのところ、秋っぽい色がしっくりきていたから、ボルドーが多かったから。食べ物はいつもの、胃と肝臓に優しい野菜たっぷり、フルーツたっぷり、ミネラルたっぷりのビーガン食に近いが、卵は食べる。豆腐や味噌汁、キムチなどは毎日たべるようにして。

もちろん運動もしっかりするけれども、より一つ一つのポーズや動きに集中してみたり。友人とのランチやディナーが入っている日の運動は、なぜかいつも焦り気味になってしまうから。

オーガニックのヘアオイルを使いながら、丁寧に頭皮マッサージをし、シャンプーやトリートメントもオーガニックに変える。かかとの角質もとりながら、たっぷりオイルだけではなく、クリームも塗り込んで、お肌をシルキーソフトにする。

そんなことをしているうちに、お腹の張りが落ち着き、アレルギーが多少ある食べ物が体から出きったのか、不快感がなくなった。

あと、人のエネルギーというのは良くも悪くも、やはりあるわけだから、少しは誰でも影響は受けると思う。私の場合、人の良いところを見ても、悪いところを見ても、「じゃ、自分はどうなのだろう」と勝手な、自分の中での”結論”を出したがるから、色々なことを考え、その”結論”が出ないと、色々な本を棚から出し、ヒントを得ようとするから、なんか脳が忙しくなる。でも色々な角度から得た情報を、自分の中で必要かそうでないか、整理していくのも、私にとっては大切なプロセス。

15年間浮気をしなかった香水を、そろそろ変えようかな、と、大胆なことを考えている。自分のために選ぶ香りを探しに出かける、というところに、たどり着いた今の自分にワクワクしている。

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レアな香水がみつかるお気に入りのProfumeria

 

永遠に残るもの

少し前まで、人が亡くなると、私はひどく落ち込んだ。ずっと病気だった、という人でも、私にとっては、「生きている」から「死んだ」になり、突然だった、と毎回感じるからだ。

ここ4日ぐらいの間に、二人が亡くなり、人生や命の儚ささえも感じてしまう。

1年ほど前に、同じフロアに住む4人家族の旦那さんが、いつもは明るく駆け足で階段を下るのだが、少し無表情だったので、ジョギングから戻って階段を駆け上がっていた私は「元気?」と声をかけた。

「実は妻に脳腫瘍がみつかり、これから治療していかなきゃいけないのだけど、でも大丈夫そうだから、パラッゾ(ビル)のみんなには言わないでくれ。」と言われた。

夫婦で会計事務所を経営している、イタリア人にしては時間を守る、真面目な夫婦で、子供は二人、10年前に会ったとき、男の子は4歳、女の子はまだ2歳だった。外国人の私が娘と二人きりで住んでいるということで、はじめは一人で変えられなかった電球や、トイレの故障など、この旦那さんが色々助けてくれた。

医療で病気を治すことは、不可能ではない時代だから、仕事を休まなくてはいけないし、元気に復帰するのも大変だろうな、ぐらいに思っていて、旦那さんも会えば「まぁまぁ元気」という感じで、むしろ、息子が、よくお手伝いする姿をみかけ、微笑ましく、全てが回復へと向かっていると思っていた。

そのまた半年後の夏休み、久しぶりに会った奥さんは車いすになっていて、やせ細っていたが、奥さんの姉が「大丈夫」とウィンクしたから、辛い治療がやっと始まったのか、と思っていたが、またその1か月後、その姉とエレベーターで会ったら、「Non va(良くない)」と言い、その一言は、イタリアに10年住んで聞いたことがない、凍るような響きだった。

そして先週ジョギングで階段を駆け上がる私。階段を下る旦那さん。「どう?」と聞いたら頭を横に振って、「昨日亡くなった」と言い、私はとっさに彼を力強く抱き締めた。

次の日14歳の息子は、お母さんが使っていた車いすやベッドを外に運ぶのに、大人の男たちに交じって、手伝っていて、私に気づいた彼は「良い一日を」といつものように言ったが、私はどんな言葉をかけて良いのか分からず、黙ってしまう。又、12歳の娘は「Mamma!」と何度も何度もお母さんを呼びながら泣き叫んでいて、パラッゾ中にその悲しみの声は響いていて、心を締め付けられた。

一番印象に残ったのは、あの甘えん坊でワガママだった14歳の息子が、ものすごくしっかりしていたのと、その横顔がとてつもなく凛々しく、母の愛を彼に預けたのではないか、と感じるほど、神々しく美しかったこと。

そして昨日娘から連絡があり、大学でお友達になった男の子が昨日亡くなった、と。大学のHomecomingで、学生達は寮の色々なところでパーティーを開き、お酒も飲むから当然酔っ払う子も出てくる。夜中12時過ぎ「音がうるさい」とクレームが入り、大学の警備員がその寮の部屋をノックすると、その亡くなった男の子はトイレに隠れたという。

本来は自分の部屋以外の出入りは禁止されていて、見つかった場合、寮を追い出されるというしくみになっており、8階のトイレからその子は飛び降りたらしい。その夜は怪我だけで状態は落ち着いていたらしいが、朝、息をひきとった。

娘の大学は、少し勉強したぐらいで進学できるレベルの大学ではない。またアメリカの良い大学というのは、勉強の成績だけではなく、スポーツ、芸術、チャリティー、生徒会など、全ての分野で優れていることを求められ、試験で良い結果を出せば認められるという、シンプルなシステムでもない。

ハイスクール4年間の全ての成績や行い、人間性などが問われる。勉強できるだけではなく、頭も心も良くないといけないのだ。この男の子は親とも仲が良く、大学始まって4週間ぐらいですでに人気者になっていた。

彼はたしかに酔っ払っていた。そこに警備員がきて、見つかって追い出されちゃ困る。逃げる目的で、窓から飛び降りたのだろう、と彼の友人達は言っている。それが8階だったという不運なのだろうか。

初めての中間試験も終わり、私だって娘にリラックスして楽しむことをすすめた。彼の親はやりきれない気持ちだろう。考えただけで胸が苦しくなる。やっとの思いで入れた大学。大学生活始まってたった4週間。私もそうだが、彼らの新生活も落ち着いてきて、親としてもホッとしているタイミングだったはずだ。

混乱し、悲しみで目が腫れている娘と、話を聞いて心配する息子に話しをした。「人生に感謝して、自分たちの夢に向かって頑張っていこう。楽しむことも、リラックスすることも絶対大切だから。でもね、安全、健康であることぐらいの責任は自分たちでとろう。」と。

今でも人が亡くなると私は、落ち込まないわけではない。でも、人間にとって不可能なことはたった一つだけで、死んだ人を生き返らせることだけは絶対にできない。早すぎる奥さんの死。若すぎる学生の死。心が美しく、眩しいぐらいに輝いた彼らを失うのは、この世にとって残念という言葉ではすまない。

でもだから、自分を大切に、自分に正直に、余計なノイズはきりすてて、愛と健康に感謝をし、今日のベストを丁寧にやりきって、喜怒哀楽激しくても、いいと思う。そうやって人生を生ききりたい。

Rest in peace, beautiful soul and spirit. 

そして彼らの家族の悲しみが少しでも早く癒されるよう、できる限りの愛と光を送りたい。

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牡羊座の満月

 

一番カリスマティックな友人

現在ポルトガルをベースにしているママ友が、双子の娘たちをロンドンの大学に送った後、ローマに会いに来てくれた。彼女の夫はある国の次期大統領になると言われている人で、夫のいる国に帰ると、ボディーガードが何人もつく、有名な政治家の妻である。

彼女と会うと何が楽しいかって、とにかく「思いっきり」オシャレができることだ。ファッショニスタであり、私のスタイルを理解し、褒めてくれる人であり、また彼女の大胆なチャレンジにはいつも刺激を受ける。

昨日も彼女はプラダの白の、ダッドスニーカーどころではない、ごっつごつのミリタリーブーツを、愛らしいシフォンの黒ミニドレスに、黒の革ジャン、またその上にバーバリーのレインコートを羽織って、待ち合わせのレストランに、Lady Diorの白いバッグを持って現れた。

私は毎年プラダでスニーカーを購入するのだけど、今年はどうしてもシンプルなのが流行りではないらしく、気に入るものを見つけられなかった。なのに、こうやって、彼女がミリタリーをかっこよく、でもフェミニンに着こなすのを見ると、「明日またプラダ見てみようかな」という気にさせてくれる。

彼女が主催するパーティーによばれると、メイクも服も「そこまでやっちゃう?!」ぐらいやっても、会場に行けば、丁度よかったりするから、とにかく楽しい。

そんな彼女も子育ては終了し、「娘の部屋には入れない」と涙を流した。今私のまわりは、自分も含めて、みんなそういう人生の節目を迎え、ちょっと呆然としている人が多い。子供に振り回されることすら、”楽しい”と思ってやってきた子育てなのだから、旦那がいようが、いなかろうが、同じようにガクっとくる。

彼女の息子も私の息子と同じでバルセロナ在住で、もう一人の息子はブラジルのサッカーチームにレンタルされた。「で?何で一人でポルトガルに残っているの?」と聞いたら、真昼間からボトルワインをガンガンオーダーする彼女は、「夫は政治家。女が多い。国に帰れば、私はその女たちに弱みを見せないどころか、”相手にもしていないわよ”と言わんばかりに、堂々と笑顔を振りまかなければならないの。大変なのよ。女達を殴ってやりたくなるわ。でもジェラシーなんて見せたら相手の思うつぼだから。でもね、疲れちゃうの、やっぱり。心が。だからね、離れて元気を取り戻すために、ポルトガルの家は残したの。」と。

「ブラジルに行った息子はね、夫と2年間ほど住んでいたから、見ているのよ、色々。それである日「ママはとにかく人生楽しんで。」と言われて。その意味が分かって。」と。家族愛も夫婦愛も互いにすごくあるのだけど、人生ってシンプルじゃないのだなぁ、と思う。人間のサガというか。

彼女は言った。「”家にいるのが好き”っていう人がいるけど、あれ、やっぱり鬱だと思う。」と。色々な考え方はあるけど、私は彼女よりな思考の持ち主かも。だから私は言った、「常にコンフォートゾーンから出て、自分に刺激を与え、フレッシュ感とか輝きをメンテナンスしなきゃいけないと思う。だからレストランも、買い物も、少しファッションとか気合を入れていかなきゃいけない場所を選び、目が肥えている店員やカメリエーレ達の厳しいジャッジメントで自分を高めていくのも必要だよね。」と。

「その通り!」と彼女はハイファイブをもとめた。もちろん落ち込む時間も、自分をみつめる時間も必要だが、とにかくアラフィフ世代は、もともと落ち込みやすいところにいるのだから、自分のモチベーションを上げていく方法とそのメンテナンスというのを、しとかないと、こうやって久しぶりに会ったときに、「どうしたの?大丈夫?」と自分では何もないのに、心配されることになる。

5か月ぶりに会った彼女に座ってすぐ「彼氏できたんでしょ!」と言われたから、私はその「キラキラ」を自分が思っている以上に、保てているのだな、と、ホッとした。「まだ。」と言ってから、今度はアモーレの話題で1時間はすぎる。まるで「ピラティスのクラス行ってきなさい」というぐらいのノリで「セックスしてきなさい」とこの人に何度言われたか・・。っていうか、ラテンの男女に言われないことがない。

で、最後はいつも同じで、「でも、歳を重ねたら、名誉とか物とかお金よりも、家族とか友情が本当に一番大事になってきて、本当に人生がシンプルになっていくよね。」で終わる。むしろ、ここが分かっていない人に、私も彼女も、時間を費やさない。

食事の後、来週のレッドカーペットのイベントのためにドレスを用意しなきゃいけない、と、お買い物に付き合い、「主役」になることが絶対条件の彼女が選ぶドレスは、「それ?!」と思うほどToo muchに見えるのだけど、彼女が着ると、しっくりきてしまう。そこに、これでもか!ってほど派手はジャケットを店員が勧め、これまた似合ってしまう彼女に、私はすごく興奮した。地味なデザインを派手に着こなし、派手なデザインをしっくりみせる、というのが、私のファッション哲学だから。

「私も色々ある。だからお互いこれからも頑張りましょう。また12月頃にローマに来れるようにするから、ミアモール。バモス!」と彼女は言い、夫の待つ国へと旅立った。

なんて楽しくて、刺激的で、Soulfulな日々だったのだろう。彼女と会った後はいつもこの気持ちになる。

12月には息子も娘もイタリアへ帰ってくる。私にとって一番厳しいジャッジは彼らだ。容赦なく感じたことを、さらっと(多分これまた、”無意識に”)言ってくる。最後に息子に言われたのは「マミーここ何年も歳をとっていないね。」娘には「マミーと家のエネルギーって、クリーンで綺麗。」と。もちろん、嬉しいから、「変わらないね」と言われるよう努力をしている。

年を重ねるとね、変っていないということは、変わっているってことだから。

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刺激と愛と知性のシャワーをありがとう