KIKORI

私達はRainbowをしっている

クリスマスは、愛と感謝をばらまく

9月からアメリカの大学に行った娘が、明日イタリアに帰ってくる。興奮しすぎているからか、今朝起きたら、時差とか日にちとか全部忘れて、「もうゲートにいるのか」とメッセージを送ったら、「マミー!びっくりさせないで!私のフライトは明日の朝だから!」と怒られた。普段私はポカミスをしないから、まわりはぎょっとするらしい。

娘が家に着いたら、抱き着いて泣くと思う。すごく会いたかった。色々自分の中で、この3か月間忙しくしてきたけど、やっぱり、すごくすごく会いたかった。息子は、最後の最後まで試合や練習があるから、23日にバルセロナから帰ってくる。二人が家にいて、私が一日中料理して、彼らはそれをペロッとたいらげ、ゲームしたり、一緒に映画を見たり、3人でフェイスマスクをしたりもする。息子はいつも嫌がるけど、付き合ってくれる。

離れているとね、毎日毎日、何か引っかかっているかのように、彼らの心配をしている。彼らの一日の終わりに電話がきて、声をきいて、「今日も良い日だったよ」と聞いて、やっとホッとする。それが、家にいると、自分のそばにいると、心配も変な想像も何もいらない。「ベッド気持ちいい!」「マミーの食事美味しい!」「家がきれいだから気持ちいい!」「洗濯物がすごく良い香り!」と私が当たり前にやることを、喜んでくれるから、涙が出そうになるほどうれしくなる。

私に気遣って二人でお皿洗いしたり、洗濯ものを干してくれたりしてお手伝いもしてくれる。私が心から幸せだと思える休みだ。

娘が帰ってくる前に、友人達に年末年始の挨拶をした。大好きな人。大切な人。助けてくれた人。彼ら一人一人を想いながら、家のそばのEnotecaでクリスマスハンパ―をオーダーした。この人はこのワインが好きだろう、とか。この人は甘いものが苦手だから、チョコレートはやめよう、とか、あれこれ入れて、飾りやかごも選んでいく。イタリアで1等賞をとった簡単に手に入らないTiriのPanettoneは、少し離れたお気に入りのEnotecaで毎年オーダーするが、今年は2個しか残っておらず、一個はうち。もう一個は、親友にプレゼントした。

これまでのPanettoneは少しパサついていて、何でこんなものをイタリア人は食べるのだろう、と思っていたが、Tiriに出会ってからは、しっとり感モチモチ感にほっぺが落ちそうになる。甘すぎないところも、センスだな、と感心する。

年末年始の挨拶にはまだ早いんじゃない?と、みんな口そろえて言うのだけど、「子供たちが帰ってきたら、私は忙しいから!」と、自分勝手に挨拶する。でもね、心こもった贈り物は、相手もちゃんと受け取ってくれる。「私の心のそばにいてくれて、ありがとう。」「私が元気ない時、すぐ察してくれてありがとう。」「私が嬉しい時、一緒に喜んでくれてありがとう。」「私のことをいつも見守っていてくれてありがとう。」「子供達の成長や成功を、一緒に飛び跳ねて喜んでお祝いしてくれてありがとう。」「泣きたいとき、車の中で泣かせてくれてありがとう。」「冗談いっぱい言って笑わせてくれてありがとう。」「あの時、しっかりしろ!と叱ってくれてありがとう。」

一人一人が私にしてくれたことがある。その全てが今日の私を幸せにしてくれている。イタリア語でTi voglio beneとは「あなたを大切に想っている。」「愛している。」という意味で、恋人にも言うけど、大切な家族とか親友につかうフレーズだ。Ti voglio beneと言われ、Anch'ioと返す。普段あまり使わない分、心にずしッとくる。

もう毛皮を着る寒さになり、キスすると顔は冷たく、ハグをするとコートの厚みを感じる。大好きな大好きな季節。何でクリスマスってこんなにも感謝と愛の気持ちで溢れるのだろう。ギブすることが、嬉しい季節で、それを喜んでくれる大事な人の笑顔が、心をホカホカにしてくれる。

今年大変だったけど、滅茶苦茶悩みながらも、自分達が幸せな選択ができた。失ったものもあるけれども、手に入れた幸福の方が大きすぎて、まっすぐ前を歩いて行ける。私もすごく頑張った。息子と娘はもっと頑張った。彼らとこの素晴らしい2021年を祝え、最高の2022年を一緒に迎えられるこの「時」に心震える。

もう、冷蔵庫食べ物いっぱい買った。下ごしらえするものはした。朝一でキャロットケーキも焼こう。私、本当に会いたかったのだと思う。息子と娘が帰ってくるのを待っていたのだと思う。

Merry Christmas & Happy New Year! このマジカルなホリデーが、世界中の人の心と体を癒し、たくさんの美しい光でチャージされることを、心から祈っています。

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2021年ありがとう。滅茶苦茶頑張れた年だった。

 

男友達は、魂を自由にしてくれる

イタリアでは、男女の友情は存在しない、と言われ続け、実際10年も住んでいるのに、一人もできていない。

どの国でも男友達の方が多かった私にとって、女性と友情と育むことは、正直面倒臭い事でもあったが、それでも10年やっていれば、互いに理解することができるようになり、数少なくても何でも話せる女友達というのが増えた。

私の経験からいうと、「本当のこと」を聞きたい女性は、あまりいないということ。相談のように持ちかけてきても、ただ話したいだけで、別にアドバイスを求めているわけでも、問題を解決しようとするわけでもなく、なんか話してスッキリして、嘘でも何でも「あなたは大丈夫よ。」とみんなで励まし合い、終わる。

私にとってはこれが全く理解できず、真剣に相手を想って解決法を見つけようとするから、逆に傷つけたり、余計落ち込ませたり、プレッシャーをかけたりすることが多かったのだと思う。

色々学びました。女性の長所をみつけて、それを伝えることで、元気づけてあげられるということ。共感することで、安心感を与えてあげられること。自分のつらい経験を話してあげることで、希望を与えてあげられること。

最近、ある男性に、私はしつこくアプローチしている。50代後半の独身イタリア人で、住まいは5つ星ホテル、3食の食事は全て3つ星レストラン、という、少しかわったバチェラーだ。過去に日本人の恋人がいたこともあり、パンデミック前は年の半分は東京だったから、日本の文化や習慣など、細かいところまで気づいている。

「私とあなたは友達。」これをしつこく、彼を追いかけまわし、リピートしている。「あなたはイタリア人だけど、日本で手を出さない女友達いっぱいいるでしょう。私もその一人になりたいの。」と。「でも僕は君のことが好きなんだ。」となかなかOKを出してくれなかったけど、先週やっと、「わかった、わかった!」とサレンダーしてくれた。

彼とは、新しいホテルのオープニングに行ったり、同じように毎日そのレストランでランチをする74歳の友人を紹介してもらい時間を過ごしたり、散歩につき合わせたり、としているうちに、少しずつ独身男性の秘密が見えてきた。

どこ行くのにもついて行く私にため息をつきながら、珍しいお店に入っていくな、と思ったら、宝くじ。これを毎週買っているらしい。「さぁ、もう帰って。僕は勉強しなきゃいけないから。」というから何勉強しているのか聞いたら、馬。それ、ただのギャンブルじゃん。

なぜ、ホテル住まいなのかを聞いたら「僕にとっては家は、親が住んでいた家だけだ。二人とも亡くなったから、空っぽの家に帰ると毎日寂しいから。」と。「愛は親が本当に与えてくれた。だから愛をみつけるのは難しい。比較してしまうから。」と。

なぜ、同じレストランに毎日行くのか聞いたら「ここは家のキッチンみたいなものだ。シーフードのお店なのに、僕が食べたい肉でも何でも用意してくれる。毎日親の家で食事をする感覚なんだ。」たしかに、そこのオーナーはひょいっと出てきて、「じゃ、散髪行ってくる」とまるで、お兄さんのような感じ。そこにいるカメリエーレ達は、仕事の合間にテーブルにきては、私達の会話にジョインして、「奥さん愛しているけど、何十年も同じ女性とセックスするのつまらない。」とか、男子トークをしていく。

毎日他人に囲まれて疲れないのか聞いたら、「人が日常に色をつけてくれる。同じ日ってないよ。毎日違う。ホテルのバーやロビーで誰かと出会って、充実する日もあるし、レストランでセクシーな女性と話をして楽しい日もあるし、反対に何もなくて、つまらない日だってある。”今日はどんな人と出会うのだろう”とワクワクするんだ。同じ人と会っても、機嫌だって変わる。」と。

ま、たしかにローマの5つ星ホテルにいると、ハリウッドスターや日本人だと、中田英寿とか、メッシなどのトップアスリート、世界中の大富豪達と出会う確率は高い。

なぜ日本人の彼女と別れたのかを聞いた。「彼女は、”まわりがみんな結婚して子供いるから、私も結婚して、子供ほしい。”と言ったんだ。日本人はそういうところがある。愛ではなく、まわりと同じであることにこだわる。そんな理由で生まれてくる子供は可哀そうだ。」「それに、夜寝る前最後にバーに行ってシガーを嗜む。これは僕が毎晩やっていることで、これを変えることはない。それに付き合えと言わないけど、行くな、と言われても困る。一度、彼女はバーに降りてきて、僕をみるなり思いっきり叩いてきたんだ。」と。

彼はただのワガママではない。人の痛みがよくわかる。でも男友達ってこっちが持ち出さない限り、分かっていながら、掘り下げないどころか、触れないでいてくれる。でも寄り添ってくれているのを感じる。いつ泣き出しても、表情一つ変えずにそばにいてくれる。何も隠さず、素を見せてくれる。問題を話せば、解決策を一緒に考えてくれる。何も大げさにしない。べたべた褒めたり、傷のなめ合いはしない。

「はい。もう早く帰って。これ以上一緒にいたら危険だから。」と大きな口を開いて笑って、タクシーの運転手に「頼むよ。」と少し厳しい目で見て、ホテルを追い出された。

もう何年も、一人で戦っているような感覚から、抜け出せた気がした。別に彼が一緒に戦ってくれるということではなく、F1ドライバーがピットに入る感覚だろうか。

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最近お気に入りのホテルのラウンジ

 

不安を行動力に変えて、結果を出す

統計学を使って、話しをする男女は多い。ま、いわゆる「普通は」というフレーズを、もうちょっと知的風に言い換えたものだろう。

香港のインターナショナルスクールで同じクラスだった、韓国人の男友達は、サクセスフルなビジネスマンになり、とてもクレバーだと思うが、とにかく統計学とか、数字とかを使って話す。

私の離婚裁判中、彼は頻繁に電話してくれたり、相談にのってくれたり、イタリアにも会いにきてくれた。離婚届けにサインした日、なんか落ち込むのかな、と思っていたけど、それほどでもなかった、という話を彼にしたら、「離婚して3か月後に一回目の鬱がくる。それからまた3か月後に2回目がくるらしい。君は、娘の巣立ちも一緒にくるから、結構落ちてしまいそうで、心配だ。」と言われた。

そんな統計学あるのか?!と、私はインターネットで調べてしまった。なんかそのようなことが書いてあるサイトはあるし、別の友人もそのようなこと言っていたし、実際離婚から6か月後にうつ病と診断され、10年以上経った今でも立ち上がれていない友人もいる。

別の女友達達は「更年期は45歳から55歳までの10年間。あなたみたいな真面目なタイプは、更年期結構くるわよ。」と更年期の忠告もしてくれたし、ネットでも、几帳面な人ほど・・と書いてあるから、とにかく、私は準備をした。

準備って、まぁ、心の準備とか、とにかくミニマイズするために、健康に気を付けたりとか。もし、どよーーーーんと何か来ても、「あ、これね。」と焦らないで受け止めよう、とか。

「いつ、くるか、くるか」と待って生きているのは、「それって全然健康的じゃないよね」と息子に笑われた。娘は、何でもかんでも「更年期じゃない?」と全然関係ないことも結び付け、バカにする。

離婚が成立したのは5月だから、3か月後の8月、1回目の鬱は来なかった。その3か月後の11月も来なかった。巣立ちの9月も来なかった。更年期の鬱も来ない。待っても待っても来ない。

じゃ、一気にドーンっと来るのではないかと、怖くなり、よりヘルシーな生活を心掛けたが、くる気配がない。

なんかコロナワクチンの時に似ている。「打って、まず腕が筋肉痛みたいになる。それから8時間後熱が出る。それから吐き気や頭痛が朝まで続く。2回目は副作用がもっとひどい。」と何人もの友人達が、教えてくれたが、筋肉痛にさえならなかったから、腕を回すべきなのではと、グルグルまわしたりもしてみたが、何も起きず。8時間たっても熱が出ないから、逆に不安になって医者に電話したり。娘には「家事よろしく」と言い、2日間は遊びに行かないで家にいてくれ、ともお願いした。何かあったら救急車を、と番号も渡して。

結局いつも怯えるだけ怯えて、何も起きない。「普通」のカテゴリ―に入らないだけなのだろうか。「努力しているからだよ」と言ってくれる友人もいる。息子と娘は私がスーパーMomだと思っている。

私はこういう自分に疲れる時がよくあるけど、でも「大丈夫でしょ」と思っていて、そうじゃなかった時の方が恐ろしいと思うから、これで良いのかもしれない。

何事も自信が最初からあるわけではないから、とにかく全てで、色々な角度からアプローチし、やり尽くす。その結果最終的に、人より良い結果を出していたりすることは、過去にも多かった。

そのメンタリティーなのかもしれない。

10代の頃、アメリカでテニスの試合に結構勝てていたから、夏休みさぼって、友達とプール行ったり、遊んでいたら、9月からまたトレーニングが始まった時、全く勝てなくなっていた。最初だけだろう、と思っていたけど、その差が埋まることはなかった。

その経験は、自分が特別じゃないことを教えてくれた。私が天狗になることがないのは、その経験のおかげだ。何事も努力をできる人間になれたのも、そのおかげだ。

「50歳になったらジョギングは、膝にくるからできなくなる」と言っていた人がいて、実際、50代になったまわりの友人・知人はウォーキングをしているし、それほど運動していたわけじゃない女友達も膝の手術をした。走れなくなるのは、きついなぁ、と心から思うから、走れなくならないように、ストレッチを増やしたり、ジョギングシューズを比較的早めに買い替えたり、足腰の筋肉を増やすトレーニングも始めた。

私の性格は面倒くさい。心配、準備ばかりで疲れる。でも、統計学を越える自分に出会えている安堵感と、自分だけが分かる、誇りと達成感も手に入れている。

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期末試験。ラッキーカラーの赤を塗った娘。

 

射手座新月のいたずら

書くことがみつからない。何もなかったピースフルな週だったわけではなく、むしろ、色々やらかしてしまった週だったのだけど、なんか消化しきれていないのか、まとまらない。

健康的で規則正しい生活を崩すことなく、自分と向き合う時間、友人と過ごす時間もバランスよく持ち、全て計画通り行動し過ぎて、羽目を外したくなったのか。離婚、巣立ち、コロナなど、一気にきて疲れていたから、とにかくゆっくりしたい、と思っていたけど、ゆっくりに飽きたのか。だからと言って、新たな冒険の旅に行くぞ、というほどの気力はなく、中途半端なところにいる人のための、中途半端なアクティビティーがみつからないのか。

ストレスが溜まっていたわけでもないのに、とにかく、珍しく酔った。いつもの年末近くのママ友グループのランチで、話す内容も想像できたぐらい盛り上がるものでもなかった場なのに、なんか私は飲んだ。特にホットな話題もなかったのに、私もみんなもおしゃべりで。ランチ会も終わり一旦家に帰ってきたのに、そのまま、男友達に電話をし、「Aperitivoしよう」と、またすぐ出かけて。

彼は56歳の独身イタリア人で、5つ星ホテルのスィートルームに住んでいる。食事もいつも3食外食のちょっと変わったバチェラーだ。少し酔っている私に、ちょっとびっくりしながら、ホテルのバーでまた飲んだ。「男と女の友情はある!」という話を熱く語る私に、彼は「僕もあると思う。ただ僕は君のことが好きだから。友情以上求める。」と言われ、「でも私はその気はないと言っているのだから、友情を育めないか」と返す。

イタリアでAperitivoをすると、チップスやオリーブだけではなく、サンドイッチや、Pizzetta(小さいピザ)などがいっぱい出てくる。普段グルーテンを食べない私がこれらも完食し、もう、アレルギー反応がでるに間違いない。

とにかく言いたいことを言ったら満足したのか、と、いうか、酔っ払っているから何が「満足」かはもうどうでもよかったのかもしれない。タクシーに乗って家に帰ったら、携帯をタクシーに忘れたことに気づき、土砂降りの雨が降っているというのに、傘なしで、タクシー乗り場に走っていった。私が乗っていたのとは別のタクシーの運転手に、「シニョーラ。Iphoneなくしたら、この国では絶対に戻ってこないよ。」と言われたけど、しつこく私の番号にかけてもらい、とてもラッキーなことに携帯は戻ってきた。

正直、携帯の中にあるコンタクトや写真などはどうでも良かった。この携帯は、Iphone 12 Proで、当時1200ユーロしたもので、「マミーは一番いいものを持つ価値のある人だから」と息子がお小遣いを使ってプレゼントしてくれたものだったし、ケースも娘がお小遣いを使ってプレゼントしてくれたSwarovskiのキラキラのケースで、「いつでも繋がるようにしてくれないと困るから」と言って二人からもらった何よりも大切なものだったから、必死だった。

とにかく戻ってきたからホッとしたら、安心して泣き出して、そのタイミングで息子や娘から電話きたからもっと泣いて、とにかく滅茶苦茶な自分だった。

次の日はもちろん二日酔い。もう飲みすぎるのは絶対にやめようと、誓いながらも、昨日はなんだったんだ・・と答えが出ず、それから数日は、コーヒーもレモンウォーターに変え、とにかくデトックスをした。

体調も気分もどんどん上がっていくのをまた感じ、ジョギングも軽やか、ヨガも体が伸びる、伸びる、とその日も気分よく野菜スープを作っていたら、ブレーカーが落ちたから、1階にある電気室にいくため、家の鍵だけを持って、ドアを閉めたら、それが最後。そのドアが普通に開くことは二度となかった。

唖然としたけど、とにかく火を止めておいて良かったとそれだけが救いで、携帯もないからとりあえず、真隣に住むRAIのリポーターのお姉さんに助けを求めた。RAIは日本でいうNHKで、彼女を知る人は少なくないが、とにかくいつも誰かと電話で喧嘩していて、まともに挨拶もしたことがない人だった。

実は同じ日の朝、買い物行こうと家を出たら、彼女が騒いでいて、どうした?と聞いたら、「水道のパイプ真っ二つに壊れた!吹き出る水も熱湯で熱くて近寄れない。水を止めるもとが高いところにあって届かない!」と家中水浸しで相当パニくっていた。運動神経に自信がある私は、壁にのぼり、それを止めることができたのだ。

私が家に入れなくなったのはお昼あたりで、彼女はLocksmithをすぐ呼んでくれ、私の大家にも連絡をとってくれ、家にいさせてくれ、彼女のお母さんがランチまで作って持ってきてくれた。ドアを壊してあけるまでの8時間、私と彼女は延々と互いの人生の話を語り合った。二人で「私達何なんだろうね。10年間話したことないのに、同じ日に、双方トラブルが起き、互いに助け合い、話せば気が合い。」と笑い、彼女はぼそっと「死んだ父が仕掛けたことだと思う」と言った。

ドアのロックはいきなり壊れた。ごっついロックだから、ビクともせず、Locksmithもどうにもできず、ドアを壊す工事をしなければいけなくなるほどだった。けど、その8時間、私は正直楽しかった。「え、もう終わったの?」と内心思ったほど。

酔ったことも、携帯失いかけたことも、ロックが壊れて家に入れなかったことも、私にとってはハプニング。そりゃ体には優しくないことだったけど、なんか刺激を求めていたのだろうか。楽しかったような・・でも、お酒を飲みすぎるのはもうやめよう。それと大切な携帯が戻ってきたことには感謝しよう。

スピリチュアルなブログに書いてあった。この時期、物が壊れたり、ハプニングが起きている人は、風の時代の波に乗れていて、波動がどんどん上がっている人、と。じゃ、喜んでおこうかな。

でも、本当。なんだったんだろう。

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そろそろ息子と娘がクリスマスの休みで帰ってくる

 

 

第六感を磨くと、幸福度が上がる

私には、スピリチュアルな話がガッツリできる友人が、オーストラリアにいる。彼女とは1年に1回話すか話さないか、ぐらいの頻度なのだけど、最初の10分だけ互いの状況をアップデートし、その後は、普通の人が聞いたら、この人達頭おかしいんじゃないか、と思われるような内容を、互いに興奮しながら話している。

視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚をしっかりアクティベイトすることで、六感が鋭くなっていくから、別に特別な力がなくても、誰でも、本来は、見えないエネルギーなどを感じることができ、色々なメッセージも受け取ったりできるものなのだと、私は信じている。

五感を使って、何を感じたかを、自分の中だけでも、表現できるようになると、直観などが冴えてきて、社会の常識がどう、と生きるより、自分にとっての心地よさは何かということが分かってきて、迷いがなくなり、幸せな選択ができるようになる。

ソーシャルメディアを見ていても、それが作られたイメージなのか、素でやっているな、とかも分かってくる。ってことは、人と出会った時に、その人のより本音の部分に触れることができ、もし相手もオープンなのであれば、価値のあるコミュニケーションがとれるのだ。

今朝、そのスピリチュアルなオーストラリアの友人に電話をし、話したのは、私や彼女みたいなエネルギーに敏感な人間は、波動の高い人なら良いのだけど、低い人と会うと、エネルギーを吸い取られたかのように、疲れてしまう、ということ。しかし、人間社会に生きていれば、選べない時だって当然あり、その時は、「家を出る前に、自分の持っている光を外側に発するのをイメージして出ていくと、ネガティブな人は私に近づけなくなる。」と彼女が言った。

私の場合、家を出る前に、ピンクのバブルを思い浮かべ、その中に入っている自分をイメージし出かける、という話をし、これはたまに息子や娘にもやらせている。彼らがやらない時は、私が代わりにイメージし、彼らのオーラを守ることもする。

有名人のパーティーなど、癖のある人達の集まりに出かけるときは、眩しいぐらい白いバブルの中に入っていく。

もし、自分の中にネガティブな感情を見つけた場合、理論的に分析するのはもちろんのこと、その真っ黒な部分をキラキラの光で、浄化するイメージをし、又そういう時は、食べ物もヴィーガンにしたり、スキンケアやシャンプーなどもオーガニックのものに変え、外側からも内側からも刺激を減らす。

私はジョギング中も、キラキラの輝きを吸って、欲しくない感情や思考を吐いて、終わるころには、心身ともにスッキリしている。

満月は、私にとってはとてもヒーリングで、偉大な優しさを感じ、たまに素っ裸で(外ではもちろんやりません)月光欲もする。これをすると、次の日、肌も心も潤っていて、女性らしさを取り戻せる。

今の時代、男らしくない男性も多いと感じるし、女らしさを失っている女性も多いと感じる。だから太陽を浴びるのも、満月の光を浴びるのも同様に大切にしている。

オーストラリアの友人は、普段そう簡単にドクターには行かないのに、乳がんを自分の「勘」で、あれ、と感じてチェックを受けたそう。早期発見で、手術はしたけれども、回復も早すぎるくらいはやかった。

私の離婚裁判中も、何を言われても、私と息子と娘が幸せであることを、ぶれることなく貫き通すことができ、実際、私達3人は今、自分達の魂が喜ぶ人生を歩んでいる。あの時、元夫や双方の弁護士、裁判官などの言う事をきかないでよかったと、あの一番苦しい時に、クリアーなマインドと心を、保たせてくれた宇宙のサポートに本当に感謝している。

コロナで、大分人間関係の断捨離もでき、身軽になれた。嫌なことがもう起きないというわけではないし、つい最近だって身内からの嫌がらせはあったが、エネルギーワークをしながら、結構早く切り離すことができた。

一つ言えることは、傷つけるようなことを言ってきたり、やってきたりする人というのは、必ずと言っていいほど、何か大きな問題を抱えている。だから「あなたのためを思って」と言われると、家族だし、一瞬惑わされてしまうのだけど、本当に人のために思っている人というのは、ダメージを与えてこない。これだけは本当に学んだ。

オーストラリアの友達と、これらの互いのスピリチュアルな経験や気づきを、自由に語り合い、開放感さえも感じることができた。愛用中の香水を大きなローズクオーツ・タワーにくっつけて置いていること。月光欲で子宮が暖かくなる話は、普通、ひいてしまうかも。でも私のスピリットは喜んでいました。

イメージできるものは、全て現実化できる。

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最近妙に魅かれるアクアマリン

 

朝、自分と相談 夜、自分に感謝

朝、目が覚めてまずすることは、自分に「今日、どう?」と問いかける。「よく寝れたから、快適」とか「少し疲れが残っている」とか。それでその日の自分に合った食事を決め、その日のTo-Doリストも調整する。

この時期ローマは雨ばかりで、湿気と寒いのが苦手なイタリア人は、会う約束もあやふやにして、最終的にはドタキャンしたりするから、楽しむ気満々の私は、がっくりくることも多々あるが、私もイタリア人になってきたのか、大雨の中Aperitivoをしても、全然優雅じゃないよね、と思うようになり、今週は私も、罪悪感なく、「雨だから来週にしよう」と延期した。

雨も一日中降っているわけじゃないから、一瞬止んだ時を見計らって、ジョギングはしっかり行くけど、何度も窓の外を見ながら天気をチェックするのは、正直疲れる。走っている途中で雨が降ってくると、濡れて風邪ひいてコロナにかかるんじゃないかと、妄想が膨らみ、とにかく焦る。

前回スペイン大使館で、次のアポは2週間後の10時半と書いた紙をもらったけど、帰り際「それじゃ、来年!」と言われ、「2週間後はまだ11月だけど・・」と思い、後で届いたメールにも1月7日9時と書いてあったけど、ラテンの国でよくある間違いだから、とりあえず、紙の日にちと時間通り、金曜日の10時半に、行ってみた。大使館側のミスにも関わらず、謝りの言葉もなく、追い返された。ま、この辺も、慣れっこだから、頭にもこない。

ビザ申請に必要な無犯罪証明書も、コロナもあって、予約とるのに1か月はかかる、と。でも、私はなぜか警察署の人と仲良くなっていたから、お願いしたら10日で、予約どころか、無犯罪証明書を、家まで持ってきてくれた。さすがローマ。ここはコネクションの街。

その警察とAperitivoをしよう、と約束したのだけど、これまた大雨降って、見送ることに。私と息子と娘の夢に対するネガティブなメッセージが、血のつながる家族からまた来たから、無視をして、怒りを浄化するプロセスに、結構なエネルギーを費やし、ちょっと飲みに行ってリラックスしたかったから、残念。

金曜日は、Black Fridayセールで、色々な物が50%Offになっているから、セールが嫌いで基本行かない私も、今年は気合を入れて、人が多い中、せっせと選び、お会計の長い列に並び、やっと私の番が来た、と思ったら、私が選んだ服は全て「セール対象外」だった。

っと、なんか空回りした週だったので、週末は自分のご機嫌をとろう、と決め、まずは、娘とよく行っていたベトナム料理のフォーを食べに行き、あまりの美味しさに、一人でも笑顔がこぼれてしまい、サービスしてくれたいつもの優しいお姉さんに感謝。

毎年クリスマスはクッションカバーもゴールドに変えて、キラキラにするのだけど、クリスマスモードに入っていない私が、娘と話していた時に「今年は、クッションの色、今のターコイズブルーでいい?」と聞いたら、「何言ってんの?ゴールドでしょ。」と厳しく返され、スイッチ入ったので、家のデコレーションを買いに行った。

キャンドルも毎年買う、Gingerbreadの香り、今年のテーマは「5つ星のキラキラ人生」に決めたから、金の星のキャンドル、ゴールドの星の置物を色々買いそろえ、無くなりかけていたディフューザーのリフィルも買った。息子も娘も、寝る前にキャンドルの.灯を見ると落ち着くらしいので、それぞれの部屋のキャンドルも買った。

ちなみに、Black Friday続く週末セールの中、今日私が選んだ物は、また見事に全品「セール対象外」だった。やっぱり縁がないのよ、セールというものに。

でもなんて楽しいのだろう!!子供達が帰ってくると思うと、どうサプライズしようか、とどんどんアイディアが出てきてワクワクする。どんどんご機嫌になっていく自分が面白く、このタイミングで、一人Aperitivoをすることにした。

柳葉敏郎(ビールのコマーシャル)に負けないぐらい、私は美味しそうに幸せそうに、プロセッコを飲んでいたと思う。美味しい~。で、私は蓄膿症だから、普段は乳製品とグルーテンは食べないのだけど、調子にのって、チーズケーキもオーダーしちゃって。美味しかった~。幸せ~。

自分で自分の機嫌をとる。自分で自分の波動を上げる。空回りが多かった週だったからこそ、余計に美味しく感じた1杯のプロセッコとチーズケーキ。頑張った自分へのご褒美って必要。

夜寝る前、ベッドに入って私が必ずやることは、「今日も頑張ってくれてありがとう。」と自分に言います。

明日はクリスマスツリーを飾ろ!

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幸せ~

 

 

 

 

ソウルメイトに出会うと、起きること

ソウルメイトって信じますか。ビビビッときたことありますか。初めて会うのに、切なくなるほど、懐かしいような感覚に包まれたことありますか。

彼と初めて会ったとき、言葉の通り、「ビビビっ」と稲妻のように電気がはしり、瞬きもできないほど、びっくりして、彼から目が離せないでいた。何度も人を好きになったり、惚れたりしたことはあったが、このように、まだ一言も話していない人をみて、固まった経験はこれが初めてだった。

その時は挨拶程度で、すぐ家に帰ったが、「なんだったんだ、あれは・・」と、思いながらも、すぐに忘れ、その夜のフォーマルなディナーパーティーの準備をし、会場へと向かうタクシーの中、知らない電話番号から、携帯に電話があり、「もう会場に着いた?僕はもう着いたけど、席につかないで、入り口にいる」と、その彼から。どうやって私の番号を・・と思ったけど、コミュニティーは狭いから、ま、いくらでも誰からでも、番号ぐらい手にいれられるだろう。

日中会った時の彼もラルフ・ローレンの広告に出てきそうな素敵な人だったけど、夜会った彼もタキシードで正直かっこいいと思った。彼と私は違うテーブルに座ったから、私は同じテーブルに座った人達と、楽しんでいた。ディナーが終わりの方になり、色々な人が席を離れたり、移ったりし始めた時、仲良くなった女性が、「むこうのテーブルに私の友達がいるから、紹介するわ」と言われ、私も席をたったら、彼と目が合い、「後でね!」と私は手で合図した。

彼の席に行ったら、彼はものすごい笑顔で「このパーティーつまらないよ!僕の隣の人は全然話さないし。だから君がいてくれて良かった。」と。なんか私より10歳は年上なのに、そんなこと言う彼が面白くて、それから私達は色々話をした。パーティーのカメラマンは私達がカップルだと信じ、私達のドアップのツーショットもNewsletterに大きく載っていた。めちゃくちゃ楽しそうな笑顔で。

どのパーティーに行っても、彼と会い、それこそどんな眠くなりそうなパーティーでも、彼がいるととても楽しく感じ、必ず家にも送ってくれるようになった。ある夜、タクシーで送ってくれた彼が、「僕たちは何かあるよね。」と怖いぐらい真顔で聞いてきて、少しほろ酔いだった私は、「あるかもねぇ」と笑い、はぐらかした。

それから3か月ぐらいはなぜか会わなかったのだけど、いきなり電話がきて「散歩しないか。」と。この日から私と彼の関係は一気に深まった。「君への想いがなんなのか分からなくて、会わないようにしていた。だけどずっと考えちゃって。君がこの公園をジョギングしていると言っていたから、僕はジムのメンバーに入っているのに、わざわざ外にでて、君を探していた。君の家の下にあるコーヒーショップに、君が現れるんじゃないか、と飲みたくもないコーヒーをオーダーして毎朝待っていた。君が行くスーパーだって僕の家からは少し遠いのに、そっちに行き、ばったり会ったふりができないか、と期待していた。」と。

こんな年上の彼が、なんか可愛くて、私がビビビっと来た話をし、どの集まりでも彼の姿をみつけると、ホッとしていたことを伝えた。いつか、エレベーターの中で目が合い、真剣な顔をして、目をそらさない彼との無言の数秒間が永遠に感じたことも伝えた。

それから私達は度々お茶をしたり、食事をしたりしながら、自分達の想いを語りつくし、自由を感じていた。互いに恋に落ちてしまうことを恐れて、気づかないふりをするのだけど、私達が喧嘩をするときは、必ず、どちらかが友達以上の関係を求めた時。そんなこんなで彼はアメリカへと移動になり、それまでだと思っていたが、出張も多く、最低でも年に一度は会いにきてくれた。

何十年経った今でも、彼は電話をくれたり、クリスマスはプレゼントを送ってきてくれたり、自分で届けてくれたこともあった。そんな彼が昨夜数か月ぶりに電話をくれ、ゆっくりと話ができ、思い出はなしをしながら、「あなた今何歳?」と聞くと恥ずかしがって答えないから、「あのね、私も歳をとっているの。シミもしわも白髪も増えたの。わかる?でも年齢なんて関係ないでしょ。どう生きてきたかが、雰囲気や目や表情に現れ、幸せは目尻のしわにでる。私にとって人の美というのは、そういうことだから。」と言ったら、彼は「君に恋に落ちた瞬間も、恋が愛になった瞬間も覚えているよ。あんな気持ちになったのは人生あの時だけだ。世界中のどこにいても、君の香水の香りがすると、僕は立ち止まって君の姿を探してしまう。一緒によく聞いた曲を聴くと、すごく切なくなる。」と言った。

テレパシーってあるのかな。彼を想っていると、必ずこうやって電話がくる。

大変な時こそ、甘えてはいけないと、自分で問題を解決するまで、特に好きな男性には話さない。心配して連絡をしてくれても、そっとしておいて、と冷たくあしらった時もあった。私は甘えられる人がいると、頑張れなくなるから。

でもなんかこの夜は、「今、あなたがそばにいてくれたら、どれだけ素晴らしいか。」と言ったら涙出ちゃって。弱いところ彼には見せないできたけど、彼の低い声は心地よく、いつでも電話してきて、と言ってくれた彼に絶対的な包容力を感じ、「今年のクリスマスは特別なプレゼントを贈るよ」と、言われて、笑みがこぼれた。

「君のことを愛している。」

若い世代の子だったら、絶対「重い」と言うだろう彼の本気は、私にはしっくりくる。

「私の方がもっとあなたのことを愛している。」

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ソウルメイトを呼び込む満月

 

 

未来への橋を渡る時、人は感情豊かになる

息子が住むスペイン・バルセロナへの引っ越しの準備を始めた。本来は2022年1月、子供たちがそれぞれの国へ戻ってから、始めようと思っていたのだけど、気力というのは不思議な形で戻ってきて、この波に少し乗っておこうと、思った。

イタリアに住んだ10年間で、積み重ねたもの、集めたもの、自分の一部のように慣れ親しんでしまったものがありすぎて、大家さんに引っ越すことを、報告することさえも、なんとなく勇気が必要だった。

少しずつ友人達に報告しながら、ビザの申請のためスペイン領事館に行き、当たり前なのだけど、何枚もある申請書はスペイン語で、全く理解できない。もちろんイタリア語もラテン語だから、似ているとはいえ、間違えたくないわけだから、すごく慎重になる。

スペイン領事館の窓口の女性は、スペイン語なまりのイタリア語を話すから、聞きづらいな、と思うが、透明のパテンションにへばりつきながら、必死で理解しようとしている自分に笑ってしまい、10年前イタリアに引っ越したときのことを、思い出した。

ローマのアパートに引っ越したはいいが、オーストラリアからの荷物も、購入した家具も、当たり前のように届かず、あったのはベッドだけ。ワクワクはしていたし、娘が通っていたインターナショナルスクールを通じて、どんどん新しい人達と出会っていくし、止めどなく楽しい反面、ローカルの生活という意味では、ドライクリーニングに行っても、八百屋さんに行っても、言葉やシステムも分からなかったため、早く言葉を学びたい、と焦っていた。

オーストラリアで少しイタリア語のレッスンを受けたはずなのに、言い回しが変わるだけで別の言葉に聞こえてしまい、ものすごくあたふたしていたが、娘の方が、スクールバスから色々見るお店や景色を見て、ペンで道の名前を手に書き留め、テンパっている私に「マミー、Viale BuozziにOPIのネイルサロンを見つけたから、行ってきな」という感じで、よく緊張をほぐしてくれていた。

彼女からしてみたら、初めて見る母親の頼りない姿に不安がなかったはずがないのに、娘は何とかそんな私の力になろうと、私の好きそうなお店がどこにあるか、などいつも地図で見せてくれていて、私はそういう娘の愛にいつも救われていた。

スペインへの引っ越しは、新たな冒険で、不安とか楽しみとか全部ありながら、イタリアでの10年間もよく思い出すようにもなり、私もここまできたのだな、と誇りに思う反面、ここを後にするノスタルジアも混ざり、もう自分でも、楽しみなのか、寂しいのか、フレッシュな気分なのか、なんなのか分からなくなる時を過ごしている。

普通のことなのかもしれない。「破壊と再生」のど真ん中にいるのだから。娘と生きたイタリアでのチャプターを閉じる日が近づいているという、感覚が私をすごくセンチメンタルにするのだ。親子なのだけど、本当に「助け合って」生活してきたから、信頼関係がぐらつくことなんて一度もなく、二人三脚で、一緒に成長して、「もう一度この10年をやれ」と言われたら、間違いなく断るほどハードだったけど、エネルギー溢れ、得るものが本当に多かった実りありまくるチャプターだった。

あれもこれもと思い出しているうちに、娘の声が聞きたくなり、ビデオ電話し、交じる感情溢れて泣いている私を、彼女は「そこで泣く?!」と笑い飛ばしてくれた。彼女は私を知っている。変に優しくしたら私が弱ってしまい、混乱さえもしはじめることを。だから、アメリカでみつけた良いスキンケア商品とかを色々見せてくれて、「じゃ、クラスだから!」と元気よく行き、この日もまた娘に心を穏やかにしてもらった。

日中は、スペインビザ申請に必要な書類集めで、ばたばたしながらも、新しい生活へとむけてワクワクしたり、46歳になっても、また未知の世界に飛び込め初心に戻れることに感謝したりと、清々しいスッキリ感があり、夕方ごろからは、イタリアを離れる寂しさや思い出に浸る事が多く、ここ2週間の私は、とにかく精神的にも、肉体的にも忙しい。

友人達や、同じパラッゾの人達に「ここにずっと居て欲しい」と悲しい目で言われると、切なくなり、やめてくれ、と思う。

こんな時ほど、私は運動、睡眠、食事で、自分の状態を毎日整え、どんな感情が巡ってきても、しっかり丁寧に受け止められるようにしている。自分のコアには、とてもピースフルで静かな自分がいる。その自分と毎日コネクトしながら、「今、この瞬間」という時を、ついてくるエモーションも含めて、大切にしながら、楽しんでいる。

過去も現在も未来も、全てが愛おしい。

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フッと気づくと、ピンクが多い時期