KIKORI

私達はRainbowをしっている

大胆にみる夢ほど、叶う

答えが舞い降りてきた。

自分は何がほしくて、どこに住みたくて、どんな人生を送っていたいか、がビジョンとしてハッキリあり、多少色々ありながらも、その通り、もしくはそれ以上の現実を引き寄せてきた。

それが、娘がアメリカの大学へと巣立って、子育て終了してから、私の未来キャンバスは真っ白で、自分でもびっくりするほどイメージが何も湧いてこなかった。

「物欲もなくて。」と友人に相談すると、「あなた全部持っているからね。」と言われたが、そういうことではなく、とにかく「欲」を失った。ヨーロッパの上流社会に入りたい、と若い頃思っていたが、それも一周すれば、「みんな人間」というところに落ち着き、物もある程度一流メゾンのクラシック品を手に入れたら、トレンドは娘が取り入れるものを借りればいいや、と人任せになった。

私にとってのラグジュアリーが、健康に変わったのはたしかだ。肌や髪の艶をどれだけ保てるか、とか、体力がつく食生活とか運動とか。そのメンテナンスは、娘が巣立ってから、パーフェクトに近い状態でできているから、だんだん物足りなさを感じてきていた。

色々な疲れもドッと出て、気力もないのかもしれないが、とにかく私は人に会ったり、Youtubeみたり、Amazonで色々な分野の本をオーダーしたりしながら、自分のパッション探しを続けていた。自分のことがここまで分からないというのは、人生初めてで、何なのよ・・と涙する日も多々あったが、今日、するするするっと降りてきたのだ。

今年の5月に離婚裁判が終わり、経済的にがんじがらめにされたことが、トラウマになっていたのだろう。今あるものを手放すのがどうしても嫌だった。ローマの家も、一生ものとして買った全ての家具も、物だけではなく、心許せる友人達、一生懸命勉強したイタリア語など、とにかく「これ以上のものはいらないから、これ以下にしないでくれ」という、叫びだったのだろう。

私が住みたい国は息子のいるスペインでも、娘のいるカリフォルニアでもない、というのは分かっている。でも私が手を付けたものは、必ず成功してきているから、息子のテニスを全力でサポートしたい。プロとして軌道に乗せるラインというのがあって、そこまで行っちゃえば、私の手助けは必要なくなる。これは絶対やっておきたいことなのだけど、その先がなかったから、なんとなく動けなかったのだと思う。

その「先」がみつかった瞬間、これまで「更年期?」と思っていた、だるさはなくなり、「年?」と思っていた欲のなさもなくなった。それと同時に、あれだけ執着していたローマの家や家具、イタリア語や友人達含めたイタリアでの生活も、スルッと手放す覚悟ができた。辛くない。友人はいつまでも友人。イタリア語だって、もし一時的に忘れても、すぐ戻せるぐらい勉強してきた自信がある。家はもっと良い家を探せばいいだけだ。家具も「一生もの」は次にすればいい。イタリアでの10年間は一生、私のものだ。

嬉しくてしょうがない!その「先」がみつかったから、スペインで思いっきり役割を果たしきり、またフラフラになるぐらい全てを出し切りたい。息子と住むのは2,3年と考えている。

誰がみても正しいことをしなければいけない、私は今そんな贅沢をしている場合じゃない、自分の夢ではなく、子供たちの夢がサポートできればそれだけで良い、と離婚裁判中「普通」であることを求められ、「普通」じゃなかったこれまでの私の人生を全否定され、あまりの打撃に、私は少しつまらない人間になりかけていた。

私は欲しいものを全て手に入れてきた。それはゼロからのスタートを恐れなかったからだ。よく父が昔から言っていた「お金を貯める方法なんて考えていないで、お金を稼ぐ方法を考えろ」の心理に似ている。

「もっと」と素直に欲を出していい。自分の夢も子供たちの夢も、同時進行で叶えていっていい。全てに数字を出さなくていい。本当はあるビジョンをぼやけさせないでいい。「これがほしい」と心が決めたら、その距離は縮まるだけだから。人間は自分のDesireに関する情報を、無意識にキャッチして、集めている。だから必ずたどりつく。

普通に正しいことほど、つまらないことはない。だからやっと自分の夢がみつかり、やっと動きだせた。一気にまとまり、方向性がクリアーになり、気力と体力が戻った。それが何かと話せば、「無理だよ」「違うでしょ」という人はまたいっぱいいるだろう。だから、私は息子と娘と親友にだけ話す。彼らの目を見て話したいから、クリスマスまで待つか、私から会いにいく。

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ありがとう