KIKORI

私達はRainbowをしっている

自己中は、財産

今、どう動くべきか、ということを最近ものすごく意識して生活している。こうあるべきだから、こうするべきだ、と考えるのが本当に正しいのか、それとも、やっぱり心の声をきくべきなのか。

あまりスピリチュアルを語ると、「現実逃避」と言われたりもするから、現実的であることも、しっかり視野に入れておかなきゃいけないと、気を付けている。

これまで5年先のビジョンも持って生きていて、それに合わせて、国を引っ越してきたりもした。私にとって一番大切な、「幸せだ」と感じることがベースに必ずあり、誰に何と言われようとも、貫き通してきた。

ここにきて、何を悩んでいるかって、初めて方向性を見失っているのかもしれない。これまでの46年間の人生のように、「これがしたい!」「ここに住みたい!」がないのだ。

どんなに、子供の成長や教育のために良い、とやってきたことでも、ベースには、そこを選んでワクワクする自分、向上心・好奇心溢れる自分が必ずいた。

頭で考えれば、今すぐにでも、息子のいるスペインに引っ越す準備を始める事が「正しい」のだと思う。あと数年で結果を出さなければいけないプレッシャーがあるのだから、洗濯や食事、掃除などを私が引き受けるだけでも、彼はもっとテニスに集中できるし、肉体的にも楽になるはずだ。

でもそれが本当に正しいのか、となかなか行動にうつせないでいる。息子のテニスプレーヤーとしての日常は、ドロドロに泥臭く、ラグジュアリーからかけ離れた世界である。勝てなければ、稼げないわけだから、久しぶりに会うと、ウェアや下着などに穴があいていたりして、「とんでもない」と私は思って、新品を買いそろえるし、たまにはお洒落をして素敵なレストランで、と彼を日常からひっぱり出してきた。

これは「たまに」だから、エネルギーチャージになったり、非日常を味わうことで、リフレッシュし日常をまた頑張れたり、と、良いことではあったが、今の泥臭い生活があるから、息子はテニスだけではなく、精神的にも強く、賢くなってきている。

やることがありすぎて、忘れものもある。それを忘れることで、面倒なことにもなる。でも、色々なミスをすることも含めて、彼らの貴重な経験になっていると信じている。もっと大人になると、そのミスさえもクリティカルになってくるから、娘も同様、この年齢18ぐらいから28歳ぐらいまでは、間違えても全然取り返しのつくところにいると思う。

そしてその時の「しまった!」という焦りや、悔しい想い、恥ずかしい気持ちを、きっと私達人間は覚えていて、同じことは繰り返したくないな、と学んでいるんじゃないかと思う。

失敗したからと、チャレンジする勇気は失ってほしくないから、そこがまだまだ親の出番はあって、背中を押してあげたり、46歳になっても「失敗なんて怖くない」というところを、みせつけなければならない、と私は思っている。

20歳そこらの大人の階段上る子供達は、彼らの環境もあって、どんどん自我が強くなっていく。私も、彼ら並みに何かをチャレンジしていたり、彼ら以上に自制心を持ってしっかり生きていないと、説得力なんてなくなる。

また、息子はテニスプレーヤーなのだから、やはり普通よりは自我が強く、ブルドーザーのように生きなければならない。適当に要領よくやっているほうが、得することが世の中いっぱいあるけど、そんな丸く収められる人間になってしまったら、選手として成り立たないから、それも全部含めて、私は腹をくくっている。

娘だって、大学に受かったから終わり、ではない。彼女がアメリカで、スペシャライズしたい分野の医者になるには、インターンも入れて15年かかることになっている。恋人ができたり、仲良しの友達もできて、そのコンフォートゾーンから出づらくなるかもしれない。最後は彼らの人生だが、そういう細かい雰囲気も読んで、Reminderを出すのも私の仕事だ。

私がスペインに引っ越し、息子と住むことが吉とでるか,凶と出るか、分からなくて、ここ数日頭が痛くなるほど、悩んでいる。まして私はスペインに住みたいと思ったことも、スペイン語を学びたいと思ったこともないから、そこのパッションがないまま、移って、自分が幸せになるのかどうかも疑問だ。

息子のコーチには釘をさされている。「あなたが幸せになれるかを一番に考えてくれ。そうでなければ、みんなあなたの心配をしなきゃいけなくなるから、意味がなくなる。」と。厳しいように聞こえるけど、むしろ一番愛のあることを言ってくれたな、と感謝の涙がでた。

人に相談すると、相談する前から、その人がどう言うか、分かってしまう。また、誰も間違っていない。

コロナ、離婚、受験、子供の巣立ち、と色々あってまだ疲れているから、やる気が起きないのか、何かが違う、と感じるから動かないのか、そこが自分でも分からない。

今朝、もう考え過ぎて疲れて、泣きながらハワイ在住の親友に電話したら、結論、ちょっとブレイクをとろう、と。答えはそのうち、出る、と。私も日常から離れる必要があることを指摘された。ハワイに遊びに行きたいと思うし、親友も「来なさい。」と。

ただこれが、自己投資としてプラスになるのか、それともただの贅沢になってしまうのか、これまた、今の私には分からない。これまでの経験上、良いことは、プランしている時点で全てがスムーズに進む。そうでないと、チケットを予約しようとしても、サイトに問題が発生したり、パソコンがフリーズしたりと、面倒なことになっていた。

こうやって書いていて、はっきり分かることは、やっぱり私自身がエネルギッシュにイキイキと楽しんで自分の魂をNurtureできていないと、大切な人のことさえも、何も気づけない、ということ。彼らに勇気や希望も与えられなくなる。「人のため」って言うのは、本当はずるい「逃げ」かもしれない。

私の悩みはなくなったわけではないけど、その答え探しも、楽しく、自己中と言われるぐらいの勢いで、やっていこうと思う。

私も息子も娘も、やっぱりブルドーザー。

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いつまでも子供達の後ろ姿を見守っていきたい