KIKORI

私達はRainbowをしっている

ノスタルジアは、はじまりの合図

子育て強制終了から、4週間経ち、自分で仕掛けた変化も含めて、ゆっくりと前進しながら、気力も少しずつチャージされてきている。

先週は、一番避けていたイタリア人の友人達に会った。彼女達は私がイタリア引っ越してからの10年間、どう暮らしてきたか、何を想っていたか、また娘のこともよく知っているから、色々触れてほしくなくて、会うのを避けてきたが、いい加減「パンドラの箱」を持っているのが、重荷になってきたのか、どうせ避けては通れないのだから、と会う決心をした。

彼女達はダイレクトに質問する。「娘が巣立って、一人になって、どう?」といきなりくる。正直、毎日掃除・洗濯・料理など、量が減っただけでやることは変らないから、一日結構あっという間に過ぎていくようになった。息子や娘たちとは毎日話すか、メッセージのやりとりをし、写真なども送ってきてくれるから、なんとなく生活が見える気がし、さほど距離を感じなくなってきた。

一人の友人はママ友なのだけど、「娘がいなくなってから、時間を気にせず生活できるから、楽になった。今日のランチだって、”そろそろ帰ってくる”と、焦る必要もないしね。」と言い、なんかスッキリした様子。

でも、3杯目のワインを頼んだあたりで、「飛行場で、娘はハグさえもしてくれなかったの。で、サッサと行こうとして、そうしたら止まって振り返って、”泣きたくないから、このまま行くから”、って行っちゃってね。」と。「それから一週間は毎日まるで娘がまだいるかのように、部屋に掃除機かけたりして。」と言った彼女の目は真っ赤になっていた。

覚悟していたとはいえ、私もお酒が入っているからね。飛行場で見送った時のことを、生々しいほどに思い出してしまった。「わかるよ。私もね、運転手に”電車で帰る”って、言って帰ってもらった。電車だったら人がいっぱいいるから、泣けないから。家着いたら、部屋は見たくなくて、リビングのソファーで数時間はただ座ったままだったと思う。」と。

一度でも瞼を閉じてしまうと、たまっている涙がこぼれてしまうから、目を大きく開けたままでいたら、彼女が「あなたはもう私の友達じゃないから。」と言うから、びっくりしたら、「あなたは私の家族。妹よ。」と。

娘同士が、小・中・高、とずっと一緒で、色々ありながらも、10年があっという間に過ぎ、互いに子育てが終わり、会ったこの日、すがすがしい意味で、変化する友情の形に、心のよりどころを見つけられた気がした。

その夜、娘から電話がきて、「寒くなってきたから、お願い!明日服送ってくれる?それとね、来週からMidtermの試験がもう始まるの!勉強が大変!」と、元気は彼女が発する波動で伝わる。その後息子から電話がきて、「今日、勝ったよ!」っとこれまでは、出場することもなかなかできなかったトーナメントで一回戦を突破した報告を受けた。

遠くなる記憶。塗り替えられていく記録。先が楽しみになってきた。五感を研ぎ澄ませ、懐かしい思い出に触れたり、浮き上がる思考を丁寧にくみ取ったりしながら、新しい扉を、ゆっくり開けている自分がいる。

時って優しい。寄り添ってくれる。人間ってすごいね。絶対、また立ち上がるのだから。人生って面白い。自分で選べるのだから。

明日からマルセイユへ行く。20年ぶりにフランス人の友人に会いに。

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秋の夕日には強さがある