KIKORI

私達はRainbowをしっている

母への想いは、言葉にならない

毎日想う事はいっぱいあって、それをこのブログに書きたいと思い、パソコンの前に座るのだけれども、いざ書こうと思うと、言葉が出てこなくなる。

家事など一切やってこなかった父は、母がアルツハイマーと診断され、おにぎりさえもにぎれなくなってから、料理を少しずつするようになった。

そんな父からメッセージが入り、「今日はワカメたっぷりのチキンスープを作ったよ。美味しかった。」と。私も写真付きで「ママに教えてもらった、小イワシのから揚げ。サラダのドレッシングも自分で作る。」と送り返したら、「作り方を教えて。」と。

母はどんなに忙しくても丁寧に料理の下ごしらえをした人で、盛り付けなんかにもこだわっていて、「おしゃれなものは作れない」とよく言っていたけど、温かいものは、温かく、冷たいものは冷たく、と色々なタイミングも絶妙で、家庭料理の天才だったと思う。

と、こうやって書いているうちに、涙が目にたまってきて、何が書きたかったのか、分からなくなってくる。

私達家族にとって、母のやってきてくれたことを話すのは、どうしようもない寂しさと向き合うことになるので、避けているのだけど、今日は少し父と、母が元気だった頃作ってくれた料理の話をして、なるべくしんみりならないよう、面白おかしく書くのだけど、これ以上は・・と思って、「ま、私達はあんなに美味しい料理を毎日作ってもらえたのだから、幸せだね!」と締めに入ったら、父も最後に「そうだね。ママは素晴らしい!じゃ。おやすみ。」とチャットを終わらせた。

義父が亡くなった時はものすごく悲しかった。だけど、できないことが増えていく母を見ていく感覚を表現する単語は未だに見つからない。

母は私達3姉妹が巣立った後、「大学行く」と言い、凄まじい勢いと集中力で勉強をし、本当に日本の超名門大学を卒業した。だけど、私は、子供達が巣立った今、少しまだ気力がなく、どっちに行くか、決めることも、考えることさえもシャットアウトしていて、これほど「母と話しがしたい」と思ったことはない。

一度、泣きながら母にFacetimeビデオをしたことがある。姉が携帯を持ちながら。何を言って泣いていたのか覚えていない。だけど、姉が「ママ、スクリーン上のあなたの髪の毛を指で撫でているよ。」とおしえてくれ、なんかすごく嬉しくて、甘えたのか、ワンワン子供のように泣いたのを覚えている。

母は今でも私にそうやって「頑張れ」と分かりやすい愛で、応援してくれているのだから、だから私は絶対に、母の想いを裏切らないと決めている。

父も病気がみつかり、薬を飲みながら治療中だけど、早く治し、一日でも早く母とまた一緒にいれるよう、大好きなお酒を止め、日本の家で自炊している。「10月20日、再検査なんだ」と父が不安そうに言ったけど、なんとなく大丈夫な気がした。

だって、その日は父と母の結婚記念日だから。

f:id:Kikori:20211008232752j:plain

すぐ会いに行くよ